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政治倫理と市民常識 - 民主党が西松事件で苦しむのはこれから

言葉_9誠実さを言語化せよと辺見庸は言った。言語が響き合うマチエールな体験に挑戦して、それを獲得し確信することだと言った。それをブログの政治言論に適用するなら、それはどういう形式や内実になるのだろうか。政治の世界や、政治に関わって飛び交う言葉の世界は、人間の誠実さとは全く無縁の、それとは対極の世界であることは間違いない。けれども、ペストに擬えた人間の絶対悪に打ち克つ唯一の方法は誠実さであるというカミュの啓示に真理を得たとき、今の日本の絶望的で終末的で言語剥奪的な政治状況の中で、それに立ち向かう有意味で説得的な政治学の理論なり主張の端緒を得るためには、やはりこの方法に依拠する態度を持ち、そこから政治に向かい合う勇気を試行錯誤するしかないのではあるまいか。嘘ばかりの現実に、嘘ばかりの言説が向けられ、嘘を嘘だと思わず、各自が自分を嘘で包み込み、同じ嘘を信じる仲間を増やそうと懸命になっている。でも、それは破綻する。やってられなくなる。自分を嘘で騙し、他人を嘘で騙すことは、自分が騙されていることだと気づくからだ。  

言葉_2なぜ小沢一郎が辞めなければいけないのかわからないと君は言っている。君の言葉は、君の前の有権者の心に届くだろうか。有権者と言い、国民と言い、確かにそれは不確かな言葉だ。誰が国民なのだという問題はある。朝日や読売の世論調査の数字が国民の世論だと言われても、それを素朴に信用できないし、マスコミ報道の数字の信憑性に留保をつける気分は誰もが同じだろう。しかし、目の前の有権者の思いは、きっと君とは逆で、なぜ小沢一郎が辞めないのかわからない、なぜ居座っているのかわからないというものだったに違いない。ゼネコンの西松建設から巨額の資金を迂回献金で受け取り、秘書が政治資金規正法違反で逮捕起訴されても違法性を認めずに開き直り、資金の使い道についても説明せず、会見場の記者やそれを見た国民を納得させられないまま2か月を過ごした。小沢一郎が説明できなかったのは、事件について説明すればボロが出るからで、口では事実無根を強調しながら、内側では法律違反を認めていたからだ。知っていたからだ。ダミーの政治団体を使ってゼネコンから個人事務所に献金させる方法を指示していたのが自分だったからだ。

言葉_3西松事件の問題は終わってなくて、国沢幹雄の公判が6月に始まる。大久保隆規の公判も続く。事件の全容はそこで次第に明らかにされ、小沢一郎が説明できなかった理由も明らかになるだろう。小沢一郎を擁護する側の主張が正当性を訴えられた唯一の根拠は、マスコミ報道が検察のリーク情報に基づくものだったという点だけで、検察による事件説明が責任あるものでなかったというだけのところにある。説明責任の問題をスリカエてゴマカシている人間が多いけれど、小沢一郎の説明責任は政治家としての政治倫理の問題としてあるのであって、法的な刑事事件の当事者としての説明責任をマスコミや国民が問うているわけではない。裁判に不利になるから説明しなくていいというのは、刑事裁判の当事者に与えられた権利の問題であり、政治責任としての説明責任を免責する理由には一切ならない。途中から、「小沢一郎は説明責任を十分果たしている」という意味不明な主張が飛び出したけれど、その主張は一部の小沢信者にしか受け入れられなかった。小沢一郎の説明に納得し、小沢一郎が説明責任を十分果たしたと感じた国民は圧倒的少数で、その事実をマスコミの捏造だとか操作だとか決めつけるのは無理がある。

言葉_4もし、本当に、2か月間の小沢一郎の進退問題をめぐるマスコミの世論調査が虚偽であり、あるいはマスコミによる悪質で作為的な大衆誘導の結果だと言うのなら、最後まで辞任せずに突っ張ればよかった。西松問題の無実潔白と検察の国策捜査に対する審判こそを選挙の争点に据えて国民に問えばよかった。けれども、小沢一郎と民主党はその選択をしなかった。小沢一郎が自らの判断で辞任したという事実にこそ目を向けなくてはいけない。国民を納得させられない、新聞の世論調査で説明に納得したと回答させられない、新聞が(小沢一郎が)説明責任を果たしたかどうかの世論調査を報道し続けることを止めさせることができない、だから辞任したのだ。そうではないのか。どれほど時間稼ぎをして逃げても「説明責任」から逃れられない。マスコミと国民が忘れてくれない。そうこうしているうちに、公判が始まり、新事実が証拠や証人と共に次々と出てきて国民を驚かす。しかもそれはリーク情報ではなく法廷に出るのであり、小沢一郎の「知らぬ存ぜぬ」や「法律には違反していない」を覆してゆく。その情報がテレビと新聞と週刊誌を埋めつくす。だから、その事態を見越して辞めたのだ。6月から7月にかけて、西松事件は再び浮上するだろう。小沢一郎の進退は、次は離党含みで問題になるに違いない。

言葉_5小沢一郎は、鳩山由紀夫が提案していたタウンミーティングを拒否した。第三者委員会に出席して事情聴取を受けることも拒否した。放たれる厳しい質問に対して説明ができないからで、小沢一郎の話(開き直り)は説明にならないからだ。突っ込まれるからだ。突っ込まれて立ち往生するからであり、逆ギレして醜態を晒した様をマスコミに報道されるからだ。誰も本質的な切り口からこの問題を議論しないけれど、これは法律解釈の問題ではなく政治倫理の問題だよ。小沢一郎に問われているのは政治倫理であって、国民が小沢一郎と民主党に要求したのは政治倫理なのだ。説明責任をとっていないとか、説明責任が不十分だという表現は、政治倫理を蔑ろにしているではないかという批判意識の言い換えられた言語に過ぎない。この国ではずっと昔からそうだけれど、倫理という言葉が不安定で曖昧で、倫理を守るということがどういうことだか概念が明確に定着しない。特に政治の場面においてそうで、現在では誰も政治倫理という言葉に対して自信を持って使うことができず、言葉の意味を聞く者に届けることに確信が持てず、「政治とカネの問題」などという妙な表現に変わり始めた。昔は、20年前はそういう言葉遣いはしなかった。政治倫理という言葉は腐食し、拡散し、有名無実になり、本当はその言葉を用いて問題を真剣に糾明しなければならないのに、言葉を忘れてしまっている。

言葉_6だから、西松問題が何の問題なのか誰にもわからない。言葉を忘れているから、言葉に捨てられているから、問題の本質がどこにあるのか、どう考えるべきなのか論者たちが論じられない。そして、政治倫理という言葉は失われ、何が問題なのか誰も掴めないながら、市民の心の底にある常識感覚が疼き、企業から賄賂の献金をもらうのは悪いことじゃないかという倫理的感性が疼き、しかも政権交代を訴える野党の党首が賄賂を迂回献金でマネーロンダリングするとは何事かという激憤の感情に繋がり、その感情が「説明責任を果たしてない」という批判言語に収斂されている。それは何故なら、いつの世でも、庶民はそうやって政治家に騙されてきたからであり、3億だの10億だののカネは、額に汗して働く庶民が得られるものではなく、政治家が不正をしてカネを貪る行為を庶民は許せないからだ。格差社会の貧困禍の中で暮らす庶民は、「国民の生活が第一」などと口で言いながら、裏で巧みに法律の網の目をすり抜け、迂回献金で蓄財してきた政治家を許せないのであり、秘書の逮捕起訴に至っても責任をとろうとしない小沢一郎の傲慢な態度に業を煮やしていたということだ。庶民の不信と怒りこそが世論の底流にあり、マスコミ報道がそれを代弁し、世論調査の結果記事という形で筆誅を加えていた事実を君は認めなくてはいけない。

言葉_7君も知っているとおり、民主党には「規約」とは別に「倫理規則」がある。その第2条には、「政治資金規正法令違反、刑事事犯等、政治倫理に反し、または党の品位を汚す行為」を「行ってはならない」という規定がある。第3条には、「常任幹事会は、党員が倫理規範に反する行為を行ったと思われる場合には、すみやかに調査を行って事実を確認し、必要な措置または処分を行わなければならない」とあり、第4条で「離党の勧告」や「除籍」の「処分」が決められている。政治資金規正法違反で逮捕起訴された秘書の大久保隆規は、当然ながら、倫理規則の第2条と第3条に従って、常任幹事会で容疑事実が調査され、処分が決められるべきだけれど、現在に至るまで、民主党はこの問題について倫理規則に従って常任幹事会で審議をした形跡がない。党内から倫理規則に従って処理せよという声も上がらず、マスコミからもネットからも誰も声が上がらない。民主党の倫理規則の存在を誰も知らない。知っていても知らない素振りをして済ませている。西松事件をめぐる政治資金規正法の解釈については、法律に無知な床屋政談趣味のブログ左翼も巻き込んで喧々諤々があったけれど、この倫理規則を事件に適用する議論を上げた人間は、私の知るかぎり一人もいなかった。こんな立派な倫理規則があるのに、なぜこの規則を問題の解決に使おうとする人間がいないのだろう。民主党の倫理規則って日本国の憲法と同じだよね。

言葉_8この規則を適用すれば、解決はとても早かったはずだ。そのための規則でもある。倫理規則というのは、法律のお世話にならないように、検察や裁判所やマスコミのお世話にならないように、党組織が自ら問題を解決するためのものだ。3/3の事件発生と同時に、倫理規則に従って常任幹事会が開催され、問題が検討されなければならなかったはずで、議題に上がったなら、大久保隆規の除籍は必至で、当然、小沢一郎の責任問題になっただろう。小沢一郎の責任が追及されただろう。政治倫理の問題は常に言われる。言われ続けながら風化し、風化しながら頭を擡げ続ける。それは、庶民の目線というものがあるからだ。地べたの市民の常識感覚があるからだ。そこが政治倫理の最後の防波堤になっている。政治倫理が語られるとき、必ず、それが民主主義の基礎だからという言い方がされる。政治倫理の言葉も怪しくなり、民主主義の言葉も怪しくなり、二つとも何が何だかわけがわからない状況になっているのは事実だけれど、庶民の感覚が問題を見抜き、不正を許さない視線になることは時代を超えて絶えることは決してない。どのようなネット左翼の詭弁も不正を正当化はしない。選挙が9月に行われるとして、6月から7月に公判が開かれる西松事件の裁判が、選挙に影響を与えないということはないだろう。

小沢問題の対応の失敗が選挙の敗北に繋がることを危惧するね。

言葉_z
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この言葉を政治ブログから聞きたかった

西松問題で湧き上がった小沢氏への不信感の根本になるものが何であるか、それをこれほどまでに端的に指摘したブログは他にありませんでした。しかし、本来であればこれは当たり前すぎるほどの指摘のはずで、それが当たり前でなくなるほどにネットの政治言論の質が低下していることを嘆かずにはいられません。

私達は自民党の政治家がこのような不正を行うことを何度も見てきました。そのたびに政治家は「知らなかった」と言い逃れをしてきました。しかし、いつも私達は感じていたはずです。「そんなの、知らなかったはずがないだろう」と。そして、その感情を誰より強く持っていたのが、自民党に対して不信感を持つ人々であり、野党支持者だったはずです。

たしかに「議員本人や秘書が知っていたかどうか」を法的に立証するのはなかなか困難です。しかし、法的に立証するのが難しければ問題がないのかと言えばそうではありません。市民感覚として、肌で感じる感覚として「知らなかったはずがない」ということを私達はいつも見抜いていたはずです。今、小沢問題でヒステリックに小沢擁護を叫んでいる人達も、そういった言い逃れを繰り返してきた自民党議員に不信感を持っていたはずです。そんな自民党議員の不誠実さへの反感が、野党へシンパシーを感じる一因であったことも否定できないはずです。

しかし、今はどうでしょう。「迂回献金であっても、小沢氏秘書がそれを把握していたとは言い切れない」と、自民党議員顔負けの言い逃れを野党支持者が大声で叫んでいます。しかし、彼らが元来持っていた市民感覚を捨て去ってしまっていたとしても、多くの一般有権者はそれをまだ持ち続けています。自民党への不信感を少なからず感じている有権者ならばなおさらです。

今の民主党は、野党支持系の政治ブロガーは、そういった市民感覚を持つ、民主党が最も目を向けるべきであるはずの層に唾を吐きかけている状況です。彼らが10年前にはきっと持っていたはずの市民感覚を思い起こして、そこに誠実に自分の胸に問いかけてもらいたいと心から思います。

No title

こんにちは。テッサロニケさんの戸倉さんへの期待、愛情表現と取ります。

民主党政権を望まないY新聞

14日付けのY新聞の世論調査によれば、世襲議員についての
意見で拮抗しているとのこと。
この種の世論調査は設問の仕方で誘導できるものであり、この新聞社がこの時期にこのような調査を行ったには何かしらの意図があるからに違いない。
東京地検が不公平に小沢氏だけを狙ったという批判があるが、東京地検はそのような政治的意図はなかったと思う。
むしろ<小沢氏の秘書を時効で東京地検、職務放棄>と、書かれるのを恐れ、新聞社に誘導操作されたと考えることが妥当ではないか。

No title

>マスコミの世論調査が虚偽であり、あるいはマスコミによる悪質で作為的な大衆誘導の結果だと言うのなら、<
そのマスコミの世論調査を盾に政権交代を訴えていた民主党っていったい・・・? 笑うところでしょうか。

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