山口二郎が週刊金曜日3/27号誌上で小沢辞任論を表明した。
森田実は3/25のネット記事中で小沢一郎に辞任を勧告している。
金子勝はもっと早く、3/22のTBS番組中のコメントで小沢一郎は辞任すべきと明言した。今日(4/1)の朝日新聞(15面)には立花隆の小沢辞任論が載っていて、基本的に森田実と同じ主張が述べられている。マスコミ上で小沢擁護を唱えている論者が現時点で何人かいるが、今後の推移の中で消滅に向かうことは間違いない。選挙を基準に考えれば、小沢一郎の続投固執は民主党を不利に追い込むだけで、「政権交代」の可能性を潰す自滅行為だからである。先日の予想に新要素を加えよう。次に民主党の支持者や関係者を動揺させるのは、週刊誌の選挙予想記事である。週刊文春と週刊朝日が選挙区の当落予想と政党の議席数を発表する。2月までの選挙予想では、民主党の圧勝を予測した
記事が殆どだったが、4月の予想からはそれが逆転する。民主党は150議席以下の惨敗で、自民党が250議席以上となる衝撃記事が並ぶだろう。麻生首相が解散風を吹かすのを再開させたため、選挙予想を商品にした雑誌は売れる。

新聞とテレビは「小沢辞任」の主張で国民に対する立場を固めている。今後の報道でも、その基本線を覆す展開はあり得ず、仮に小沢一郎が代表を続けたまま選挙戦に突入すれば、民主党を敗北に導くよう選挙報道をシフトするだろう。社説で党首の不正を徹底糾弾し、辞任せよと強硬に迫りながら、その政党が選挙で勝ってしまったら新聞社の立場がない。4月に入ると、政局は様変わりする。小沢問題は燻りながらもマスコミの第一の関心事ではなくなり、4月の前半はテポドン政局が続き、4月の後半からGWにかけては経済対策が論議の中心に浮上する。それが縦軸で、横軸として民主党の政局がある。週末毎にミニ統一選の投票があり、報道各社の世論調査が更新され、党内の反応と小沢一郎の記者会見と進退問答がある。その1週間のサイクルが繰り返されながら、北朝鮮問題と経済対策のニュースで表舞台の政治が動いて行く。民主党の影は薄くなり、政局の主導権を失い、支持率は低下する。週刊誌の選挙予測が追い討ちをかけ、マスコミの辞任論が勢いを増す。選挙区の支援者から悲鳴が上がり始め、県連が執行部に異議を唱えざるを得なくなり、そして選挙前の体制一新が不可避な情勢が現出する。
前の記事でも指摘したが、この政局で小沢辞任の論陣を最も強力に張っているのは、最も民主党寄りの報道機関と見られてきた朝日新聞である。朝日が小沢一郎を完全に見捨てた。この事実に注目せざるを得ない。何となれば、小沢一郎をここまでの政治家に育て、絶えず政局の表舞台で華々しく活躍させ、「政権交代」という概念と表象(それは実際には幻想だが)の中心要素に仕込み、小沢一郎と共に20年間の日本の政治を動かしてきたのは、「政治改革」と「政権交代」の政治をドライブしてきたのは、他ならぬ朝日新聞だからである。今度の朝日の小沢斬りは、日本の現代政治の一つの転換点を意味するマイルストーンであり、朝日新聞と小沢一郎の蜜月の終焉である。このことは、朝日が新自由主義の路線を再定置したことを意味するが、それだけでなく、もっと大きな意味があって、朝日が「政権交代」よりも「構造改革」の方に重きを置き、「政権交代」の主導者としての立場と役割を後退させたことを意味する。「政権交代」よりも「構造改革」の方が重要で、煎じ詰めて言えば、「構造改革」(すなわち消費税・道州制・外国人労働者などの新自由主義政策カタログ)を政策徹底させるのなら、民主党でも自民党でもどちらでもいいのだ。

1993年に小沢一郎が出した『
日本改造計画』の中には小選挙区制の導入と憲法改正(=普通の国)の持論が展開されている。この少し前、1988年のリクルート事件と1992年の佐川急便事件で国民の中に金権腐敗政治への不満が高まり、それに呼応する形で、現行政治体制を一新する「政治改革」を掲げる細川護熙らがマスコミで活発に動き回るようになる。彼らが説いたのは、選挙制度改革すなわち小選挙区制の導入であり、自民党と社会党の戦後政治体制(=1・1/2体制)を清算して、小選挙区制の下で保守二大政党による政権交代を可能にする体制を実現することだった。その動きに全ての保守マスコミと保守評論家が乗り、左側の朝日新聞と岩波書店が乗った。「政治改革」の宣伝扇動のステージは久米宏のニュースステーションであり、小選挙区制に警戒感を抱いていた左側の視聴者を説得し洗脳した。その中心的役割を担った政治学者が二人いて、東海大学の内田健三と北海道大学の山口二郎である。二人は入れ替わり立ち替わり久米宏のスタジオに生出演し、小選挙区制に変えればカネのかからない政治になると視聴者を折伏し続けた。その1992年から1993年頃、朝日の論説にこれまでと全く異なる主張が載り始め、「反射光」とか「逆射線」とかの題のコラムだったが、小沢一郎を新しい時代の「政治改革」のカリスマ的旗手として絶賛する内容の記事だった。

書いていたのは、石川真澄を追い落として政治論説の首座に就いた早野透で、朝日新聞が自民党のタカ派の改憲論者で金権政治家を絶賛するなど、前代未聞で狼狽驚嘆させられる出来事だったが、そこから朝日新聞と小沢一郎の蜜月が始まり、1990年代半ばはまさに小沢一郎と朝日新聞が二人三脚で「政治改革」を体制化する時代となる。現在よりも傲慢で粗暴な権力者だった小沢一郎は、現在の麻生首相や安倍晋三と類型がよく似ていて、知性もなく行儀も悪い保守反動政治家だったが、朝日新聞の政界面は小沢一郎を褒めそやかす記事で満ち溢れていた。曰く、小沢一郎は政策通。曰く、小沢一郎は法律に詳しい。その提灯記事を見ながら、私は鼻白み、かつ憤っていたが、そういう新聞記事は、ある傾向の保守政治家が権力者になった時は必ず紙面に出る。曰く、安倍総理は政策に詳しく外交通。曰く、麻生首相は経済に精通して英語に堪能。安倍晋三と麻生首相がどうやってそういう記事を新聞記者に書かせたかは知らないが、私が疑っているのは、早野透ら朝日の記者が小沢一郎のことを政策通だの法律通だのと褒めそやかした裏には、単に「政治改革」のイデオロギーを共有する同志であったというだけでなく、もっと生臭い関係があっただろうという憶測である。記者にカネを撒いていたのではないか。角栄政治の祖法を乱発して記者を買収していたのではないか。今はそう確信する。

結局、朝日新聞は15年間にわたって小沢一郎を救世主の政治指導者に祭り上げた。朝日新聞がそうやって小沢一郎を持ち上げ、岩波文化人の
山口二郎がそれに便乗して敷衍し、左翼政治学者の後房雄が小沢一郎を「政権交代」のカリスマ的貴公子だと礼賛するものだから、右側以上に左側で小沢一郎を崇拝する政治信仰が広まって、左側の政治常識となった。この20年間の日本の政治は、まさに小沢一郎の時代だと言っていい。本当は安倍晋三や麻生太郎と同程度の資質と能力しかない保守タカ派の世襲政治家が、20年間にわたって日本政治の第一線で活躍し続け、左翼の支持(幻覚)を得て野党政界の首領として君臨し続けられたのは、朝日や岩波や政治学者が作った偶像崇拝の言説と信仰の賜物である。小沢一郎は無能な世襲政治家だと誰でも認識できるが、朝日新聞や岩波書店のブランドと説得力は簡単には否定できないのである。民主党支持の左派にアドバイスするなら、これまで改憲論者の世襲保守政治家を神輿で担いできたのだから、担ぐ神輿を新自由主義者の岡田克也に変えても問題ないのではないかということである。事情通によれば、民主党の左派と小沢一郎は政策協定を結んでいて、現在の「
国民の生活が第一」の基本政策もそこから導かれているのだと言う。であれば、岡田克也とも協定を結んで、生来の新自由主義の政策色を薄めるように指示すればいい。小沢一郎も自由党時代は新自由主義者だった。

いずれ左派の支持がなければ代表の党内基盤は安定しない。小沢一郎がまるで社民主義者のような外面で振る舞っていたのは、権力維持のために左派の支持基盤が必要だったからで、本来の自己のイデオロギーを後ろに隠していたからである。小沢一郎には特に信念となるような一貫した経済政策の思想はない。自民党の保守政治家というのは、多かれ少なかれ同じであって、あるときは極端な新自由主義者の素性を出し、またあるときは経世会的な公共工事バラマキ主義者に回帰したりする。それが日本の保守政治家の実相だ。言葉で発信する「主義」は時代と状況に応じて容易に変転し変容するのであり、プルーラルでフラクタルであり、コンシステントな属性を帯びない。私は、小沢一郎の経済政策の思考回路が麻生首相や安倍晋三と根本的に異なった設計思想のものだとは思わない。次の選挙では、「え、あの男が」と思うほど、自民党の候補者が新自由主義を放棄して、小泉構造改革の旗を捨てているだろう。無論、それは口先だけの話で、当選すれば経団連の指図に従って粛々と法律と予算を立法する保守議員になるのだが。岡田克也も代表に就任すれば、本来の「構造改革」路線を修正し、社民党からも支持を受ける立ち位置を選ぶだろう。左派は、左派の政策を受け入れて協定を結ぶ人間を代表に据えればよいのであって、無理に小沢一郎に固執する必要はないのだ。むしろ民主党にとっては選挙に勝てる顔こそが重要なのではないのか。

リアリズムの政治を考えるならば、そうした機敏な判断こそが求められて然るべきだが、左派一般に広まって定着した「小沢信仰」が、そうしたリアリズムの政治選択を拒絶させ、ヒステリックで非合理的な小沢擁護論を噴出させ感染爆発させている。小沢一郎を代表から降ろせば検察に屈したことになるという見解があるが、党として新代表を立てて検察との間で緊張関係に立ち、捜査の不公正を訴え続けるという姿勢に徹すれば、国民の支持も得られて何も問題はあるまい。小沢事務所と心中して国策捜査批判を叫び続け、起訴そのものを党として認めないと突っ張るのであれば、国会議員を全員辞職させ、検察と官邸との全面戦争に突入するしかない。そういう選択もある。だが、基本的に、国民の支持が得られなければ、検察批判の世論喚起もワークしないし、選挙に勝って政権を奪取することもできないのである。民主党が本格的な検察批判を押し通すことができず、また、本格的なマスコミ批判に徹することもできない以上、選択肢は新代表を立てて「政権交代」への選挙戦略を立て直す以外にない。私は「政権交代」主義者ではなく、それにコミットする立場ではないが、冷静に考えれば、民主党の進路は他にないだろう。西松事件における小沢事務所の政治資金規正法違反は明確で、国民は小沢一郎の説明に納得していない。それがどれほど検察の暴走であれ、どれほど官邸の権力濫用であれ、それを理由にしての、小沢一郎の「政治とカネ」の問題の免責までは国民は許容しないのである。
「政治改革」の邪宗が派生させた信仰の拘束から自由になり、リアリズムの政治に徹することだ。
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