津村記久子『ポトスライムの舟』 - メタファーとしてのポトスライム
「ポトスライムというのは何の変哲もない葉っぱ、観葉植物ですけど、それを舟として、寄る辺ないこの日本の荒波に揺られているという一つのメタファーでもある」。今年の芥川賞の選者の一人だった宮本輝は、講評でこのように言っている。私は、文学については門外漢ながら、この作品におけるメタファーとしてのポトスライムについて、もう少し丁寧に言葉を加えてもいいように思う。作品の場面中、主人公のいるところには必ずポトスライムが小瓶やコップに差され、さりげなく物語の情景を見守っている。昼の工場の休憩室、夜のバイト先の店内、家の玄関と部屋と縁側。ポトスライムはもの言わぬ静かな観葉植物で、自己主張をしない。安上がりで手間がかからず、水を差し替えるだけで逞しく生き延びる。しかし、観葉植物らしく確かな明るさと色彩を一瞬も休むことなく空間に与え続ける。簡単には萎れず、くたびれない。空気のように顧られないけれど貴重な働き手。ポトスライムはナガセ自身なのだ。そして、ポトスライムの質素で控えめで伸びやかな生命力と存在感が、この小説のイメージそのものを醸し出し、読者の共感や納得の根源的な要因になっている。
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桜の季節になりました。今週末には、神田一橋中学校で「反貧困フェスタ2009」が開催されます。昨年と同様、東京の桜の満開とぴったり重なりました。あれから1年、早いものです。去年は岩波新書の『反貧困』が出る直前の時期で、湯浅誠も今のようなスーパースターではありませんでした。そして年末の派遣村があり、1年で「反貧困」の運動を取り巻く環境は大きく変わり、マスコミにも頻繁に取り上げられ、世間の認知度は劇的に上がりました。けれども、労働者の置かれた状況はますます悪くなり、政治の混迷は深まる一方で、問題の解決や改善の方向性は全く見えていません。間もなく総選挙ですが、「反貧困」運動は今度こそ政治的な展望と戦略を打ち出せるでしょうか。
問題は政治によってでしか解決できないと、私はそう思うのですが。
桜の季節になりました。今週末には、神田一橋中学校で「反貧困フェスタ2009」が開催されます。昨年と同様、東京の桜の満開とぴったり重なりました。あれから1年、早いものです。去年は岩波新書の『反貧困』が出る直前の時期で、湯浅誠も今のようなスーパースターではありませんでした。そして年末の派遣村があり、1年で「反貧困」の運動を取り巻く環境は大きく変わり、マスコミにも頻繁に取り上げられ、世間の認知度は劇的に上がりました。けれども、労働者の置かれた状況はますます悪くなり、政治の混迷は深まる一方で、問題の解決や改善の方向性は全く見えていません。間もなく総選挙ですが、「反貧困」運動は今度こそ政治的な展望と戦略を打ち出せるでしょうか。
問題は政治によってでしか解決できないと、私はそう思うのですが。
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