
小沢一郎を支持する者の中で、少なくない部分が河村たかしに期待を寄せ、河村たかしの「庶民革命」を絶賛しているが、それは幻想であり、思い違いをしているだけだ。子供騙しのポピュリズムの手法に搦め取られているだけに等しい。この男の悪質な素性を考えれば、そういう断定と結論にしかならない。まず最初に冷静に考えるべきは、河村たかしと橋下徹の関係である。橋下徹の政策思想を理解していれば、それが「国民の生活が第一」の理念とは相容れない点は明白だろう。説明は不要なはずだ。小沢一郎と河村たかしの連携については、政局的な面と政策的な面の二つの観点からアプローチする必要がある。政局の観点からすれば、小沢一郎の政界生き残りを後押しするフォローの材料として意味があると言えなくもない。しかし、政策的な観点からはきわめて遺憾で憂鬱な問題で、「国民の生活が第一」の後退と溶解を危惧させるバッドニュースである。最初に政局的な観点から述べよう。一昨日(2/8)、河村たかしが小沢一郎を訪問した件について、ネットでは関心が集中して沸騰したが、テレビは大きな注目を向けなかった。例えば、ワイドショーで小沢叩きに狂奔している与良正男と杉尾秀哉にとって、今回の小沢一郎と河村たかしの提携と共闘の絵は、何とも不具合で説明しづらい事態の発生であり、面白くない政治場面の出現に違いない。河村たかしがすぐに小沢一郎に挨拶に出向いた図は、明らかに小沢一郎の復権を意味する政治情報だ。
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私も河村氏の当選を苦々しく不快に思っていました。そこへ小沢氏との対談。ネットサ世界での情報は、陰に小沢秘書団のバックアップが合ったとのこと。そしてその仕上げが河村、大村両氏の小沢氏訪問でした。心情的に小沢支持にスタンスをおいていた私にとって「やはり小沢氏は信用ならない」という印象を深めると同時に敵の敵は味方という冷徹なパワーゲームの手法なのかとも思いました。
ブログ主様の不快分析には頭が下がります。
私は今も小沢支持のスタンスを保っていますが、同時に彼には不快警戒感もあります。彼は元来、新自由主義的な政治家であったと思います。あの小泉・竹中暴政が実現したのもかれが小渕政権を追い込んだ結果だと思っています。
その小沢氏が民主党代表選に打って出たとき「自分も変わらなければならない」と述べ、「国民の生活が第一」と主張しました。最近になって信用できるのではないかと思えるようになってきまし。しかしあの河村氏の表敬訪問を受けている様子を見て、私の心の深層に眠っていた疑念がわき上がってきました。やはり小沢氏には警戒的に見ていく必要があるかもしれません。
従って選挙には今後も民主党を応援する気にはなれません。共産(?)、社民、国民新党を支持していきたいと思います。
少し、河村=悪しきポピュリズムという視点に固執しすぎだと思います。あまりに一つの図式に捉われると思考のダイナミズムが失われます。河村批判にも他の方向からの批判ができると思います。
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>政局を問題にするとアクセスが増え、小沢一郎や菅直人を話題から外し、エジプト情勢に全力投球したりするとアクセスが減る。
私たちにとってエジプトはあまりに遠いのでそれは仕方がないと思います。
が、浪人時代にこういうことがありました(1977年)。
代々木の予備校の授業(英語長文読解ゼミ)でダッカの日本赤軍による日航機ハイジャック事件の直後、小田実が、この事件について、
「犯人との交渉に当たったバングラデシュの軍の司令官の英語、聞いた人もいると思う」
「彼の英語は決してきれいなものじゃなかったよね。しかし、よく判る英語だったよ」
と語った。
教室は粛然としました。日本赤軍もバングラデシュもよくは知らない自分も。
そのことと話がつながるか不明ですが、今回の記事を読んでこの件を思い出しました。
ブログ主さんが記事にするなら、アクセスが少なくても書く意味のある記事でしょう。
エジプトの国民、われわれから確かに遠いけれど、自由を求める点では同じ位置にいますので。
メル・ギブソンの映画「ブレイブハート」をさっきまで見ていましたんでちょっと昂揚(笑)。
たとえ「蛮勇」でも、変えようと思う人がいる限り世界は変えられる、と思いました。
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