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大阪の幼児殺人事件と最小不幸社会 - 社会の病弊、政治の無関心

最低不幸社会_1重量挙げの選手が腰椎を損傷するのと同じような具合に、無理に重い負荷を心にかけすぎると、耐性の限度を超えてメンタルヘルスを害するリスクが生じる。2年半前、悲しい事件が次々と起き、無視できず記事に表現していたとき、その危険を直感した。一家無理心中の悲惨な事件に精神を集中し、記事に対象化する試みをしていると、疲労と圧迫で心の芯が潰れる不安に襲われる。そのため、本能的に防衛する行動をとるようになり、この種の問題に関心を寄せないようになった。けれども、例えば検索エンジンのニュースのサイトを開き、「無理心中」のキーワードでエンジンを回すと、実際には毎日同じような事件が全国で頻発している事実を知る。減っていない。一つ一つの事件が凄惨で、直視すると気が重くなる中身を伴っている。今、それらは2年前のようにはテレビで取り上げられない。戦争で戦場に駆り出された兵士は、最初は戦友の死に直面して恐怖で発狂しそうになるが、次第に転がる死体に慣れ、何も感じなくなると言われている。『ブラザーフッド』の映画が、その真実をよく見せていた。どう考えても、15年前の日本は、これほど無理心中が日常的に横溢する国ではなかった。この国が「戦場」の状態にあり、われわれの神経が麻痺していて、麻痺させるか、無視するかで、何とか「平和」を錯覚して、日常を生きる精神の均衡を維持している。  

続きの内容をレジまぐ版に公開しました。コメントはこちらの方にお願いします。

最低不幸社会_z
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顔掲載の基準

事件報道を見ていると、「どうして顔が出ないんだろう」と思うことがしばしばありますね。
どういう基準で公開非公開を決めているのかを肝心のマスコミがまったく示さないので、憶測で論じるしかないんですが、たぶん、今回の場合は被害者が我が子だからじゃないでしょうか。
これまでも我が子が被害者の場合は顔が出ない時があったように思います。
日本は儒教社会なので、我が子虐待犯の中には「我が子をどうしようと親の勝手だ」などと主張する者もいますが、マスコミは一見反対しているようで、実はそういった感覚を暗に追認しているのだと思います。

また、被害者がホームレスの場合も顔が出ない時が多いように思います。
以前、ホームレスが公務員にひき逃げされるという事件があった際、警察が「悪質なひき逃げ」と発表したにもかかわらず、なぜか、犯人の顔はおろか、名前すら出なかったことがありました。
この公務員がどういう地位の公務員だったのかわかりませんが、「ホームレスをひき逃げして名前を出すのはかわいそうだ」とでも思ったのでしょうか。
要するに、マスコミは実際の刑罰の重さとは別に、自分たちで罪の重い軽いを決めて掲載不掲載を分けているのだと思います。

社会正義の不在

切実極まる悲しい事件。冥福を祈ります。こんな生き方しか与えることのできない社会が許せません。今の大人たちが見せている姿と態度が、子どもに伝播するのです。
この被疑者の両親の責任を重大です。秋葉原事件の裁判が始まり、被告の人間像が形成される過程において、その教育の狂気ぶりが明かされつつあります。被疑者の父親は、四日市農芸高ラグビー部監督。「娘が離婚してから1年以上、連絡が途絶え、孫にも会っていなかった」と無責任なコメントをしているそうです。

これは明らかに政治問題です。もっと言えば新自由主義の問題です。市場原理主義は、共同体を解体する傾向が強い。弱いものが弱いものに向かって牙を剥き、弱者同士が競い合う。強いものは元々、弱者は相手ではないから、弱いものは弱いものを蹴落とさなければ生き残れない。さらに生活に一定のゆとりを持つものたちは、こうした弱者への同感を失う。
これに無責任の体系が加わるのが、日本の新自由主義をさらに畸形なものにしています。個人の内面倫理が確立しておらず、個人の行動規準が権力との一体化の中にあるため、常に上級者の顔色を窺い、自分の行為が上から正当化されるのを求める。上から正当化されれば、それは自分の責任ではない。しかし、常に上からの圧迫を感じているから、下へ威張り散らすことで発散しようとする。上からの圧迫は常に下へ下へと送られ、最も弱い存在に責任転嫁されていく。村八分から集団主義、果てはKYまで、この国を覆っている排外主義的思想体系。横須賀市のいじめ事件についても、この排外主義の要素が異常に強く感じられます。

寺島実郎にしても菅直人にしても、社会の指導者が無視の態度を決め込むのは、許しがたい暴挙だと思います。ノブレス・オブリッジ、指導者には高貴なる義務が求められます。富める者は、貧しきものに与える義務がある。何やら白洲次郎の口真似のようで恐縮ですが、今の日本にはプリンシプルを持った人間がいない。大企業・中小企業での勤務経験を経た一社会人としての実感では、特に支配者層(全共闘世代)には本当にいない。その時代の支配的な思想は、支配者層の思想。
いつまでも寺島や菅に居場所を与えていては駄目です。我々若者が革命を担い、新自由主義を打倒しなければなりません。今もどこかで苦しんでいる子どもがいるのでしょう。そう思うだけで胸が張り裂けそうです。事件の全容解明とともに、被疑者の過剰保護の即時停止を求めたいと思います。

ガイドラインの強化を

政治問題でも、行政の問題でも、社会の問題でもどれでもいい。この事件の本質には、恐らく全てが関与しているはずだと思います。同じ年頃の子供を持つ母親として、ひたすら涙が流れて仕方がありません。罪深い人間は、時として親が親でない状況に陥ります。そのような時に社会で子供を守る仕組みが必要だと思いますが、法的にも日本は整備が遅れているような気がしてなりません。

この件でも再三児相に通報した女性がいたようです。近隣住民には最大でも通報を繰り返すことしかできません。児相や警察の行動指標を整備して、強制的に踏み込める仕組みを作らない限り、虐待で命を落とす幼児はなくならないでしょう。「そのような家庭に生まれたのだから、死んだ方が子供たちのためにも良かったのかもしれない。」という社会を皆が望むのなら別ですが、そうでないのなら、変化が必要だろうと思います。ここに打ち込みながらも涙が浮かんできます。

No title

いつも貴ブログを拝読させていただいております。
今回お扱いの事件,誠に悲惨なものであり,加害者に対する怒りの念は貴殿と同じくするものであります。
ただ,この加害者母親のような輩はいくらでもおり,今後ももっと悲惨な事例も続出するでしょう。
個別の加害者に対する責任追及はゆるがせにしてはならないと思いますが,社会事象としては救いようのない馬鹿女に対する責任追及よりも,周囲から危険を感ずべき情報の提供を受けながら次なる手を打たなかった児相の問題こそ採り上げられるべきなのではないでしょうか。
ブログ主様は非道な犯罪者に対する憤りの念を率直に表明される方と承知しており,それについて何ら非難するつもりはありません。光市事件の弁護団など,特殊な信条を優先するあまり被害者遺族をさらに傷つける行為を容認するつもりもありません。
しかし,今次の事件報道に接した際に私が感じたのは,このような救いがたい馬鹿親は残念ながらいくらでもおり,それによる被害者児童を救う社会的仕組みがない,ないしは,働かなかったのはどうしてなのか,法的強制権限の不足は理解しますが,それのみに責任転嫁して関係機関職員は恥じるところはないと果たして断言できるのか,ということでした。
直接責任者母親の責任を緩和する方向で議論がされては絶対にいけないことは明らかですが,さりとてもはやこういう事件が発生することをとどめられなくなった現代社会において,防止の防壁となる機関のあり方を論ぜずに倫理道義に反する個人の責任を論ずるばかりでは犠牲者の増加をとどめられないのではないかと思ったのが,レジマグに申し込みこんなコメントを綴っている原因です。
貴殿のブログのご主張には基本的に賛同するところが多く,世に絶望する気持ちのときに貴ブログを見て励まされることも多く,貴殿の今後のご活躍を心より祈念しております。
ただ,貴殿の感性は犯罪者に厳しい,それはなんら批判されるべきものではないですし,我が同業の弁護士の中には権力への抵抗自体が至上価値となったゆがんだ層があるのも事実ですが,あのような母親は本人をいくら責めてもおそらく何ら改善しないと思います。幅はあります。でも最も悪質ないしは弱い層ではあそこまでのことをやるのはあり得なくはないのです。やってしまった人間に対する責任追及を緩和する必要はないですが,弱い人間があのような鬼になりはてる可能性は常にあり,鬼にならせない社会環境(ここには本人に対する厳しい責任追及も含まれます)の構築がやはり一番重要ではないかと思い,余計なコメントを差し上げる次第です。
敢えて言えば,社会問題としては,本件がネグレクトのレベルか,計画的殺人かは本質的問題ではありません。
刑事事件としては重要ですし,計画的殺人を単なるネグレクトであると強弁するような行為は厳しく責められるべきでしょうが,次なる被害児童の発生を防止するには,この区別よりも,自らとどまることなど期待できない馬鹿親を別人が止めるにはどうしたらよいかを考えるべきではないでしょうか。
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