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『エンデの遺言』 (2) - エンデのマルクス批判とゲゼルの減価貨幣

エンデの遺言_2_1エンデはマルクスについてこう言っている。「マルクスの根本的な考えは正義です。この理念は人類が存続するかぎり、なくなることはありません。マルクスの時代には10歳にも満たない年少者が労働に駆り出されることが日常茶飯事でした。炭鉱の坑内で連日働き、日曜だけ地上に出て太陽を拝めるといった子どもたちもいて、『日曜っ子』と呼ばれていました。時を同じくして、上流階級の人々はサロンで文化的な話をしていました。そのサロンを暖かくしていた石炭が、子どもたちの過酷な労働によるものだとは上品な紳士淑女は考えもしませんでした。マルクスが目の当たりにしたのは当時のそのような社会状況でした。それを批判したのは正しいことです。マルクスの功績として歴史に残ることです。しかし、それと、なぜ彼の思想がうまく行かなかったのか、ということとは別問題です。簡単に言いますと、マルクスは個々の資本家を、国家という唯一の資本家でとって代えれば、資本主義が克服できると考えたのです。それはマルクスが持っていたヘーゲル的世界観によるものでしょう。ヘーゲルは国家を神のように敬っていましたから。マルクスの『資本論』を読むと、そこでマルクスが一種奇妙な幻想的姿勢で書いているのに気づきます。(中略)マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことです。マルクスがしようとしたのは、資本主義を国家に委託することでした」 (NHK出版 『エンデの遺言』 P.39-40)。  

続きの内容をレジまぐ版に公開しました。コメントはこちらの方にお願いします。

エンデの遺言_2_z
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変化への道

「ベーシック・インカム」という考え方がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A0
『年金』や『生活保護』などを廃止し、すべての個人に最低生活が維持できる所得保障するという考え方である。その所得保障をどうしようが個人の自由である。国家管理ではなく個人の自由というところが大切。

そして、その所得保障は政府紙幣ではなく「地域通貨」とするのである。「所得保障」と「地域通貨」この二つのシステムを同時に合体させて取り組んでゆくことがひとびとの不安と不信を乗り越え、社会の構成員が安心して住みやすい社会を成り立たせてゆく上で、もっとも安全な方法論だと思える。

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
この日本国憲法25条に「ベーシック・インカム」は合致している。
「働かざる者、喰うべからず」という「心理的牢獄」からそろそろ我々は解放される必要があるのではないか。

「怠け者」の出現もあるかも知れない。プラス・マイナスさまざまなことが予想できる。が、しかし実生活で文字通り「生存権」が保障されるということは、我々にとってもっとも望ましい第一義的に重要なことだと誰でも追認・判断できるのではないか。

ベーシック・インカムに関して、比較的分かりやすいサイトがある。評論家・山崎元氏
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/df9729ff82024e97dd3447d08d9c5f27

ベーシック・インカムに関しては、賛成論から反対論までさまざまな意見がネット上で噴出している。
もし「地域通貨」にベーシック・インカムをプラスしてゆくような社会システムを取り入れてゆくならば、世の中は革命的に変化し、世界は劇的に変容すると思える。

時間=いのちですよね

2年ほど前からひっそりと訪問しておりました。
毎回の解説と分析に感謝しております。
昨日のterryさまの書き込みに触発され初めてコメントします。

10年ほど前テレビで見て衝撃を受けた
「エンデの遺言」が取り上げられたことを嬉しく思います。
エンデしかり内橋克人しかり
求めてやまない人間への愛が源泉となっている思想にこそ
想像力を喪失し狂れた時代で唯一の希望を見いだせます。
バベルの塔のように肥大した欲望=マネーがいずれ崩壊するまで
日常という怪物に精神を凌駕されぬよう
「世に倦む日日」の考察を期待しています。

社会科学の醍醐味

いやー面白いですね。今まで知らなかったことが悔しいくらいです。知的好奇心を刺激されます。実現可能性を追求できる、極めて政治的現実主義に即した理論で、この議論は深めるべきですね。
そこで思うのは、こういった理論の紹介が、どうして経済誌やジャーナリズムから出てこないのか。それにも増して経済学者は何をしているのか。
「本店」と「夜店」の融合が本ブログの本領です。今後も、政治思想とジャーナリズムの間隙をつく記事を期待しております。

なんとかならないのか。なんとかするしかないのでしょう。

エンデを知り、ゲゼルを知り、それを通して、今のお金のあり方を知れば、カネを持たざる者から持つ者への富の移転が、ただ息をしているだけで起こっているが如し今の世の中の実態を容易に思い描くことができます。その移転量は莫大であり、また、その正当性は甚だ疑問であると気づかされます。また、その膨大な富の移転先は、資本家である以上に、銀行家であるという事実認識に至ることになります。
翻って、世間のお金に対する理解の実情は、お金が増殖すること、および、その根幹である信用創造と複利の仕組みは当たり前のこととされ、あるいは、ほとんどの人がその寄生的作用に特に気づいていないと思われます。
一方、世界中のあらゆるエリアとレベルで進む経済格差が、お金の増殖性に大きく因るところがあることを、むしろ肯定し、積極的に利用して私利を貪る人々が数多く居ることも事実として見逃すことはできません。しかしながら、既存の(そして、すくなくとも現状では合法的である)そのルールを利用して、そのような行いをする人々を非難できる理由も、ましてや、止めさせる手立てもありません。
信用創造が資本主義経済に不可欠の仕組みであるならば、「べき論」を言えば、せめてそこから得られる利益はもっと広く人類全般に資するものとして提供されるべきであると思われます。しかし、このような変革には大きな政治力が必要であり、そのためにカネが必要なのは(「政治とカネ」で揺れる日本に限らず)世界共通の現実です。
民主主義を通して、お金のあり方を変えるには、その成員が幅広く理解を共有することが必須ですが、マスコミが世論を形成する現状ではそれも儚い夢としか思えません。しかし、地道に続けていかなければ、他力による解決はないと確信しています。その過渡的段階として、新自由主義経済からの脱却、そして、国民経済への転換を実現するための政治勢力を支持していかなければならないことは言うまでもありません。(私見としては、ブログ主さんの言う、国民新党、社民党、小沢党、鈴木宗男、田中康夫らによる(仮称)国民党が実現することを願うものです。)
また、これと平行して、地域レベルでの地域通貨による補完経済の確立は、暴走する現行の貨幣経済からの一時避難場所的役割を果たすことと夢想します。ゲゼル研究会をはじめとする先人の方々に続き、私自身、この取り組みに加わり、微力ながら尽力したいと考えています。

記事にもある、おむすび通貨という「米本位制」の減価する通貨が健闘している様子です。更なる発展と成功を心より祈念しております。

No title

三十年も前でしょうか吉本隆明を読んでいて、ファシズムというのは失敗した社会主義の試みであり、それに対してコムニズムというのは失敗した資本主義の試みなのだ、というところに出会い、ぶっ飛んだことがあります。
バーナムを読んだのもそのころでしょうか、ロシア革命そのものが巨大なアジアの開発独裁なのだというのです。
ロシア革命は社会主義でもなんでもなく、五十年遅れの明治維新なのだと思われます。
また、減価する貨幣というのはケインズの一パーセントのインフレによって実現できると思われます。
レーニン、より田中角栄のほうがマルクスの社会主義に近いのだと思われます

玄米おむすび貨幣

「モモ」は愛読していますが「エンデの遺言」先年このブログで紹介されて以来、そのままで、今回あわてて当地NY紀伊國屋に頼んだ次第です。

 減価貨幣の実験として、この記事の最後に愛知県豊田市の実験「おむすび通貨」が紹介されていましたが、とても感銘を受けました。この発想が有機栽培玄米農家からスタートしたことに、大きな声援を送りたいと思います。通貨単位「1むすび」は有機玄米0.5合(おにぎり1個分)と交換でき、この通貨を幅広く流通させることで、荒廃した農山村の振興を図ろうというのが目的だそうです。マルクス以前、資本主義以前のひとの営みにもどる、という発想が、有機農家から出てきたことに驚きと納得の両方があります。

 個人の身体のシステムに光を当て、浄化し、無限の自己浄化能力を養うこの「玄米」のちからにこれまで何度救われたことか。そしておなじような原初的な光を社会のシステムのほうに当てることで、この腐った資本主義を立て直す、という発想です。何年も貯め込んで使わなければ「おむすび貨幣」自身が腐りますよ、というのがとてもいいですね。玄米とおなじく、物々交換や減価貨幣のみが、根源的自己治癒能力をもつという直感を持ちました。
当方ブログ「NY金魚」にも、「玄米」に奇蹟について数度書いたことがあります。http://nyckingyo.exblog.jp/10255485/ お訪ねください。
減価貨幣については「エンデの遺言」を読んでからまた。 金魚

 terryさん、「夜店」っぽいですが、実はこの記事のような政治思想とジャーナリズムの新しいすきま発想が、丸山眞男のいう「本店」でしか買えないものなんでしょうね。

No title

現在、名古屋市に住む豊田生まれの豊田育ちの者ですが、減価貨幣の「おむすび紙幣」制度について、恥ずかしながら全く存知ませんでした。
思うに、愛知県もそうですが、豊田市も相当な保守的な都市で、こういった画期的なアイディアを積極的に導入する町ではなかったので、新しい試みに挑戦した姿勢に非情に驚いています。

某大手企業のお陰で、市の財政は潤い続けていましたが、反面、古くからの個人商店は、急激なスーパーやデパートの台頭や規制緩和によって、崩壊しました。
(米穀商を営んでいた私の実家も、廃業に追い込まれました。)

それでも、バブル崩壊から数年でこの景気低迷から抜け出せると信じて疑わず、じっと我慢してた保守的な人々が、全国に先駆けての新しい試みとあって、とても嬉しく思います。
名古屋市内でも、「おむすび紙幣」を奨励する商店が増えつつあります。
地元民ですから、出来る限りの協力は惜しまず、活動を見守りたいと思います。

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