スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

裏切りの季節と政治学の課題 ? 「政治改革」から消費税増税まで

裏切りの季節_1辺見庸が週刊誌の連載コラムに書いた小論「裏切りの季節」で、アジサイの花の変色の観察を述べつつ、マスコミや論壇の論者の変節と転向と翼賛を論じたのは、今から9年前、小泉内閣が誕生したときのことだった。そこでは、丸山真男が『自己内対話』に書きつけたメモの、「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向から始まる」という一文が冒頭に引用されていた。梅雨の季節が近づくと、私の関心領域の中で辺見庸のシェアが高まってくる。曰く、「メディアはここは敢えて花色を変えず、時代の病理を執拗に摘出すべきなのだが、反対に、時代とどこまでも淫らなチークダンスを踊るばかりなのである。民衆意識という社会的土壌の酸性度が異常に高くなったことにたやすく応じて、そこに咲く狂うアジサイならぬマスメディアの徒花が、ためらいもなく、いみじき変北をしてしまったというわけだ」(『永遠の不服従のために』 P.9)。辺見庸はどうしているのだろう。元気だろうか。一昨日(5/13)、PARC自由学校の今年の講座の第1回目があり、オリエンテーションを受けるべく足を運んだところ、やや意外な議論を耳にして、面食らいながら、辺見庸やら加藤周一の言葉を思い出すところとなった。「財政再建のためには消費税は上げても仕方ない」、「官僚が悪いという決めつけは間違いで、いい官僚もたくさんいる」。マスコミの論者が執拗に大衆に刷り込んでいるフレーズを、場違いと思えるお茶の水の古いビルの2階の教室で講義され、正直なところ、年甲斐もなく内心の動揺が続いている。  

続きの内容をレジまぐ版に公開しました。コメントはこちらの方にお願いします。

裏切りの季節_z
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

「右」からの消費税反対があっても良い!

消費税は福祉の財源ではなく輸出企業の「戻し税」と「法人税減免」の原資にされている事くらいは指摘してもバチは当たらないでしょう。
「国家主義」の立場からみても一部企業の「わがまま」の為だけの消費税です。
国家主義の立場から企業の「わがまま」を押さえる発想があってもイイですよ。

知識人の抗議

以前、大江健三郎が渡辺一夫について、自分が見た中で最も美しい日本人の一人だったと話していましたが、今思えば、それは知識人としての姿勢を指していたのかもしれません。戦時中、東大構内で加藤周一らと渡辺一夫が仏語で軍部を批判し、平和主義について論じていたと耳にしたことがあります。「狂気について」は、穴が開くぐらい読みましたが、何度読んでも熱いものを感じます。これが知識人の言葉なのだと。
仕事の都合上、PARCの講義には参加できておりませんが、記事の冒頭で述べられていたような状況は、自分の身の回りでもよく目の当たりにします。洗脳されているとしか思えない。狡猾なブラフとは言え、何度痛い目に遭えば気が済むのか。

全共闘世代の楽観主義に対抗するには、本ブログが言うように革命理論の確立にほかならないのかもしれません。私は、現在の日本で蔓延っている新自由主義は、全共闘世代の歪んだ思想がかたちを変えたものだと思っています。派遣労働は、個人の余暇や時間、努力を奪い取り上げる点において、強制労働と本質的には変わらない性格を帯びています。消費税論議については、そもそも、新自由主義(自由原理主義)のイデオロギーの性質上、課税は自由を奪う行為と定義されるはずであり、議論の俎上に上がること自体を良しとしないはず。それが増税論議に血走りを上げているのですから、よく分かりません。
以前、本ブログで世代間闘争の議論を交わした記憶がありますが、これでも世代間闘争を無視するのでしょうか。同世代(20、30代)の友人らと話していると、仮想的は全共闘世代との意見で皆目一致します。これを「最近の若者は・・・」と切り捨てるのは容易ですが、何故このような議論になるのかを考えていただきたいものです。私たちから余暇を奪い、時間を奪い、努力を奪っているのは誰なのか。
かつてマルクスが「ドイツ・イデオロギー」の中で、その時代の支配的思想は支配者階級の思想である、と述べましたが、全共闘世代の責任は一向に問われず仕舞い。所詮、火炎瓶を投げれば社会を変えられると勘違いしてた方々ゆえ、元々期待していませんが、それにしても無責任の体系も極まった感があります。

今の言論空間に、丸山眞男や加藤周一、渡辺一夫に並ぶ知識人は殆どいないと思います。本ブログが上げたように、辺見庸や内橋克人、国谷裕子各氏など、極めて少数です。右から左まで、(政治改革を筆頭に)抽象的概念や比喩を玩び、己が目にした現実と己の考えを市民に伝えることより、自分の頭の良さと感受性の鋭さに自己陶酔することを優先する脱構築主義者(大澤真幸、東浩記、内田樹、勝間和代ら)だらけ。オピニオン誌を見ても新聞を見ても、この国にまともな言論空間など存在しないのではないか、とすら思ってしまいます。
思想的現実の転換(革命理論の確立)が必要不可欠である現下、PARCの存在意義はあると思います。しかし、記事の冒頭のような議論をしているようではね。運営に携わっている方々には、本ブログを読んで学習して欲しいものです。

増税

かつて経済企画庁出身のエコノミストとして売れていた金森久雄の本で、「わが国の国債はほとんど国内で消化されているので利子も国民に還元されるんで問題ない」という説を知ったとき、一理あるけど、借金はあるよりないほうがいいんじゃないの、と違和感を覚えたことがあります。

いまウィキで調べましたら、国債の金利は1パーセント後半から2パーセント程度らしい。国債の残高を800兆円とすると、金利1パーセントとしても年に少なくとも8兆円の利払い。
残高を半分でも減らせれば利払いに費やしている4兆円が浮き、別の予算に使えます。
一般会計の歳出が2008年度で約80兆円ということですので、その5%をフリーハンドで使える計算。
わずか5%ですが防衛費が5兆円程度ということですのでその8掛け。結構な額と思います(数値の間違いありましたらどなたかよろしく)。

このへんの事情を思うと、自分は国債の残高をできる限り減らしたほうがいいんじゃないかなと感じます。

政府がもし今から減らそうと決心したら、当面は景気の上昇に伴う税収増が期待できそうにありませんので、まずは増税でしょう。

増税を念頭に諸税を考えると、まず、法人税は、国際的に実効税率が高過ぎといわれてますが、ホントのところはどうなのか不明ですんでちょっと保留。

次に、所得税、相続税については、両者ともたしか景気浮揚を目論んでの政策的な減税がされたままになってたかと思いますんで少なくとも減税した分は増税すべき。

で、消費税。所得、相続等の累進的な諸税の増税で足りないようなら増税。

一般に、消費税のメリットは広く浅く取れること、デメリットは逆進性といわれています。
逆進性については、衣食住と医療、あと教育等に関わるような、やむにやまれぬ支出については非課税とすればかなり緩和できます。
できれば前年の所得がたとえば300万円未満の世帯が自動的に非課税となるような制度が作れたらもっとよろしいかと。

税金についてここまで書いたのは、むかし経済学者の正村公宏がNHKテレビでの朝の番組だかで言った言葉を思い出したからです。
「税金はいくら取ってもいいですよ。納税者であるわれわれが納得できる使い方をしてくれるなら」
その「われわれ」が多様なんで納得できるまでの道のりがなかなか遠いんでしょう。
が、この言葉を聞いた時はなるほど、と思いましたんで。

増税で景気が悪くなる懸念については、そのへんはうまくやってちょうよ、と言うしか今はありません。すんません。

病的状態にあり

>仮想的(敵)は全共闘世代との意見で皆目(衆目?)一致します。
>私たちから余暇を奪い、時間を奪い、努力を奪っているのは誰なのか。
>全共闘世代の責任は一向に問われず仕舞い。

1947年生まれの「団塊世代」のひとりです。
曲りなりにも「学園闘争」にも参加したひとりでもあります。
しかし、私には、正直、上記↑ご指摘に応える術がなく、悪化・劣化しつつある日本の現状に自分なりのスタンスで戦っているのですが、「声なき民」のひとりというのが私の実情でしょう。
「学園闘争」で共に戦った仲間の多くは、それぞれ自分を発揮してゆく場を求め、それぞれ多様な「生き方」をしてきているようです。かつて社会変革と革命に生き方を求めた仲間の多くの「共産党員」は「党内新自由主義批判」や「査問」などダーティな部分の党運営やあまりに窮屈な党中央(民主主義的中央集権制)に嫌気がさして離党してしまったということもあったのじゃないでしょうか。

私には「世代間闘争」という感覚や認識はありませんが、そういう考え方を否定する気持ちもありません。実際、「年金」ひとつ取り上げてもその不公平と差別は著しいものがあります。世代間の収入格差は目を覆うほどにますます拡がってゆくでしょう。年寄りが若者の富やエネルギーを収奪していると言っても過言ではありません。

>所詮、火炎瓶を投げれば社会を変えられると勘違いしてた方々ゆえ、元々期待していませんが、・・・
当時もそうでしたが、「学園闘争」はマスコミ報道によって著しく歪められておりました。「東大紛争」を頂点とした学園闘争で展開された全共闘運動は、多くのノンセクト(党派に所属しない)一般学生主体の運動でした。しかし全共闘運動は間もなく、核マル、ブント、中核フロントなどの党派(セクト)に丸めこまれたり、実力行使で全共闘運動の主導権を獲得されるような顛末に至ってしまったと思います。それぞれ党派の拠点として学生運動が利用されたと言われて仕方ないような状況となりました。やがてその党派の一部は火炎瓶を投げ、爆弾を使用して殺傷、やがてセクト内リンチ殺人事件から浅間山荘事件と続き、やがて学生運動の終焉を迎えてゆきます。
ノンセクトラジカルとしての全共闘運動は、結局、事実上セクト間の主導権争いとして収斂し、核マル・中核などの暴力に対して「共産党」は暴力学生、「トロツキスト」と指摘するような状態でした。
当時、全共闘運動に参加した、どこのセクトにも無関係の一般学生でも「火炎瓶を投げれば社会が変わる」とは思っていなかったと思います。それぞれそれなりの「気持ち」あるいは大げさですが「止むに止まない気持ち」で参加した者も存在していたと思えます。と言うのも学園闘争の理由のひとつとして「学費値上げ」に反対する運動が多かったと思います。学費は自分の授業料が値上げではなく概ね後輩からでした。当時でも、運動に参加してもし処分でもされたらひどく不利、それこそ就職に不利は現在と同じです。運動に参加した当時の学生一般論として「自分さえよければ」ではない感覚を共有していたからこそこうした学生運動=全共闘運動が成り立っていたのではないでしょうか。
しかし極端に言えば社会全般の空気として「みんな」から「自分」へと求心力が強まってしまった現在こそ「病的状態にあり」と言うのが私の認識です。

No title

誤字です。大変失礼しました。
核マル、ブント、中核フロント→「革マル、中革、ブント、フロント」
「党内新自由主義批判」→「新日和見主義批判」
プロフィール

世に倦む日日

Author:世に倦む日日
(世に倦む日日FC2版)

最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
access countベキコ
since 2004.9.1












RSSリンクの表示
アクセス数とメール
エキサイト版に避難中です。
FC2のふざけた釈明

access countベキコ
since 2004.9.1


  
ご意見・ご感想

Twitter
Google 検索ランキング
下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます


竜馬がゆく
花神
世に棲む日日
翔ぶが如く
燃えよ剣
王城の護衛者
この国のかたち
源氏物語黄金絵巻
セーフティネット・クライシス
本田由紀
竹中平蔵
皇太子
江川紹子
G20サミット
新ブレトンウッズ
スティグリッツ
田中宇
金子勝
吉川洋
岩井克人
神野直彦
吉川元忠
三部会
テニスコートの誓い
影の銀行システム
マネー敗戦
八重洲書房
湯浅誠
加藤智大
八王子通り魔事件
ワーキングプアⅢ
反貧困フェスタ2008
サーカシビリ
衛藤征士郎
青山繁晴
張景子
朱建栄
田中優子
三田村雅子
小熊英二
小尻記者
本村洋
安田好弘
足立修一
人権派弁護士
道義的責任
古館伊知郎
国谷裕子
田勢康弘
田岡俊次
佐古忠彦
末延吉正
村上世彰
カーボンチャンス
舩渡健
秋山直紀
宮崎元伸
守屋武昌
苅田港毒ガス弾
浜四津代表代行
ガソリン国会
大田弘子
山本有二
永岡洋治
平沢勝栄
偽メール事件
玄葉光一郎
野田佳彦
馬渕澄夫
江田五月
宮内義彦
蓮池薫
横田滋
横田早紀江
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
渓内譲
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
アテネ民主政治
可能性の芸術
理念型
ボナパルティズム
オポチュニズム
エバンジェリズム
鎮護国家
B層
安晋会
護憲派
創共協定
二段階革命論
小泉劇場
政治改革
二大政党制
大連立協議
全野党共闘
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
レイテ決戦
日中共同声明
中曽根書簡
小平
国民の歴史
網野史学
女系天皇
呪術の園
執拗低音
政事の構造
悔恨共同体
政治思想史
日本政治思想史研究
民主主義の永久革命
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
価値形態
ヴェラ・ザスーリッチ
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
奈良紀行
菜の花忌
アフターダーク
イエリネク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
岡崎栄
悲しみのアンジー
愛は傷つきやすく
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
ネット市民社会
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。