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『龍馬伝』第14話を見る - 司馬遼太郎の描く革命家半平太の魅力

龍馬伝_14_1当初、司馬遼太郎に依拠しつつ新しい龍馬像を描くかと期待したNHKの『龍馬伝』だったが、どうやら見込み違いだったようで、画期的作品の評価にはなりそうにない。半平太像の描き方の失敗は、土佐史や幕末史の根本的な無知に起因し、龍馬論の歴史認識の誤りから導かれている。ドラマを見ながら、同時並行で二人の作家の小説を読んでいるが、あらためて、司馬遼太郎の歴史認識の素晴らしさに魅了され、『竜馬がゆく』の普遍性を確認させられる。NHKのドラマと司馬遼太郎の違いは、政治というものの本質を捉えているかどうかにある。司馬遼太郎の小説はまさに政治学で、人間と政治についてエッセンスが講義されている。NHKのドラマでは、政治は外在的であり、龍馬が勤王党に入党した動機が説明され得ない。NHKの場合も含めて、龍馬論の中に少なくないが、単に自己のノンポリ万歳論を説教せんがために龍馬を都合よく利用する傾向がある。NHKのドラマでは、久光上洛の政局が全く説明されない。寺田屋事件についての説明も曖昧で、視聴者には何があったのか全く理解できない。文久には文久の政治史がある。久光上洛と条約勅許と公武合体の政治史が入らなければ、勤王党の東洋暗殺も歴史的な意味を伝えられない。どうやら、NHKの原作者は社会史は得意だが政治史は苦手なようである。政治が嫌いなのだろう。政治アパシーを嘯いていれば人に褒められる時代が長く続き、日本人は政治に無知になった。  

龍馬伝_14_2今、政治への関心は高まっているが、無知はそのままで、だから政治への関心の中身が芸能情報ネタの娯楽とイコールになる。社会史偏向のNHKの原作者は、半平太に対して徹底的にネガティブであり、その脱構築主義の心性はよくわかる。私のように政治学を学び、政治に強い関心を持って生きている者には、半平太の人物像は限りなく魅力的であり、革命行動する政治家としてほとんど理想的であるように見える。半平太は、吉田松陰と大久保利通を足して2で割ったような革命カリスマであり、革命の第1世代と第2世代の二つの属性を兼ね備えている。思想家(知識人)として一流で、政治家(革命家)としても一流だった。ロベスピエールやレーニンの範疇であり、日本史にこの類型の人物は少ない。そして、巨大な革命カリスマでありながら、生涯、組織の中間管理職の姿がくっきりとしていて、半平太は常に畳に平伏して上司に頭を下げ続けている。「恐れながら」と畳に両手をついて政論を述べ、藩の重役や京の公家を説いている。その武士たる姿が、私には切なく魅力的だ。武士のプレゼンテーションは、正座して上体を畳面に30度の斜角に折り、50センチ先の畳の目を見ながら論ずるのである。理論は全て頭の中に入っている。漢籍(四書五経と朱子学)の基礎と応用を滲ませ、表現は明晰かつ詩的な説得力でなくてはならない。このプレゼンテーションと質疑応答を完璧に遂げるために、武士は学問をするのだ。この場で知識と弁論が試されるのである。

龍馬伝_14_3半平太が魅力的なのは、理念とイデオロギーと路線を掲げ、それを実現しようとして、政治権力を取り、政治権力を動かすダイナミズムにある。理想と目標を実現するためには、政治権力を握らなくてはならない。自己の理念に賛同する同志を集め、党派を結成して拡大し、全体の中で多数派を占めなくてはならない。合従連衡の権力操縦のタクティックスをしなくてはならない。場合によってはマヌーバーもある。目的のためには手段を選ばぬ場合もある。それら、政治的な政治を、革命の政治を、半平太は全てやって、史劇として残して、政治学の教材をわれわれに示している。ロベスピエールと同じく、挫折と破滅も含めて。革命家は教義理論の権威でなくてはならない。そして革命家は非情でなくてはならない。鉄のような意思と死を恐れぬ勇気を持っていなくてはならない。容堂か三条になって、半平太のプレゼンテーションを聞いてみたい。NHKのドラマでは、半平太と龍馬の関係が内在的に描かれておらず、首を捻って見なければならないが、司馬遼太郎の小説ではわかりやすく腑に落ちる。半平太は『竜馬がゆく』の影の主人公とでも言うべき配役で、龍馬の歴史を語る上で決定的な存在だ。司馬遼太郎は龍馬脱藩後の二人の関係を丁寧に描いていて、なるほどと頷かされるし、その納得は読書を重ねる度に深くなる。半平太は龍馬を必要とし、江戸に出張中(文久2年秋)の多忙な中、桶町の千葉道場を訪ね、龍馬に藩に戻って来てくれと頭を下げる。

龍馬伝_14_4「(竜馬は)内心、武市の変わりかたにおどろいた。(苦労したな)。かつては白皙大兵、文字どおり美丈夫といってよかった武市半平太が、いまはさほどの齢でもないのに鬢に白髪がまじり、顔に百姓のような日焼け皺がよっている。国元に、京に、江戸に東奔西走し、いま土佐藩をひっさげて、天下の世論を掻き回している半平太は、席の温まる閑もないのであろう」。(略)「『半平太も大変だな』、と竜馬が言った。(略)「(半平太は)この日はめずらしく、舌鋒を途中でおさめ、『竜馬、たのむ』と頭を下げた。『脱藩のことは俺が何とでも繕う。藩に戻って俺と一緒にやってくれ。(略)お前のような人物が要る』(文春文庫 第三巻 P.242-249)。結局、龍馬は半平太の申し出に応じなかったが、半平太が龍馬を必要とした理由はよく理解できる。仕事が増えすぎていて、特に攘夷決行の政局で藩と朝廷を工作するのが大変だったのだ。半平太が龍馬を必要としたのは、右腕として土佐の郷士を束ねる仕事だっただろう。上の方面(政治工作)は自分がやり、下の面倒を龍馬に見てもらいたかったはずだ。龍馬には人望があり、若い郷士から抜群の人気があった。カリスマである半平太には怖くて近づけない郷士たちも、龍馬にはじゃれつくことができた。勤王党の組織を束ねる指導者として、半平太には龍馬が必須であったに違いない。龍馬が党に戻ってきて、下の郷士を纏める位置につけば、組織の仕事(書記局)を任せて自分は政治工作に専念できる。龍馬を欠いた勤王党は、任務が拡大する中で組織がアンバランスになりつつあった。

龍馬伝_14_5その後、文久3年の春にも、司馬遼太郎は半平太と龍馬を京で会わせている。容堂による勤王党への弾圧が始まる直前で、すなわち、半平太の政局での活躍が最高潮に達していた時だった。京にやって来た龍馬は、上京する勝海舟の警護を岡田以蔵にさせるため、その件を頼みに半平太の隠れ家を訪ねるのである。これが二人の最後だった。隠れ家の場所は木屋町の料亭の「丹虎」の離れ。現在は「金茶寮」という名の料亭に変わっていて、店の前に武市瑞山寓居跡の史址が立っている。半平太が公卿工作と反革命分子抹殺の密計のアジトとして使っていた場所で、緊急時にすぐに脱出できるよう障子の外は鴨川だった。この隠れ家では酒は禁止にしていた半平太が、禁を破って席に酒を用意させる。勤王党に戻って来てくれと頭を下げたのに、それを拒絶した龍馬とは話しにくかった。「『半平太、おらァ、飲まんでもよいぞ』。竜馬はすねてやった。『そう言わずに飲んでくれ。酔って、おたがい、国事を忘れようではないか』。互いに議論すれば、きっと大喧嘩になる。なった以上、当節のことだ。しこりができ、やがては血を見ぬとも限らない」。(略)「『竜馬』。武市は何か言おうとしたが、すぐ顔色をあらためて、『議論になる。言わぬ。酒』と銚子を取り上げた。『酒はこういう場合のためにある。竜馬、わしもおんしには言わぬ。おんしも言うな』(同 P.327-329.)。この会話の場面がとてもいい。結局、半平太は以蔵による海舟警護を黙認することになる。この二回の龍馬と半平太の場面が、私には印象的で、司馬遼太郎の人間理解と歴史理解の深さがある。

龍馬伝_14_6以下は暴論になるかも知れないが、私が半平太だったらどうしただろうと考え、一つの試論を立ててみた。容堂を毒殺すればよかった。それが最善の問題解決の方策であり、土佐を全藩革命に向かわせる道だった。半平太の捕縛と処刑は本当に惜しい。もし、文久3年のどこかの時点で、容堂が心不全か脳溢血で倒れていてくれたら、半平太は解放され、土佐は長州に続いて全藩が革命派となり、禁門の変へ至る政治情勢も大きく変わっていただろう。おそらく、薩摩が機敏に身を翻して幕府と長州の間で中立をとり、龍馬の薩長同盟は薩長土同盟として速やかに実現していただろうし、慶喜の大政奉還はもっと早い時点に前倒しされたと想像する。明治国家は完全な薩長土藩閥となり、半平太が桂小五郎のような立場で参議に入っていただろう。革命派であった攘夷派は、薩英戦争と馬関戦争を経て、開国(洋式化と富国強兵と殖産興業)へと路線を方向転換する。有能な半平太が時代錯誤な攘夷主義(対列強全面戦争)に固執したはずがない。半平太は龍馬に土佐艦隊を与えて側面支援し、龍馬の国家建設、すなわち横井小楠や由利公正の構想も、もっと早く政局に浮上しただろう。何より、半平太が生きていて、土佐の藩政を仕切っていれば、龍馬と慎太郎の二人は死なずに済み、生きて明治国家で活躍していたに違いない。慎太郎は半平太と並んで参議に列せられたはずだ。容堂(豊信)は分家の出で、毛並みの悪さと性格の傲慢さのゆえに山内家の連枝から嫌われていた。本気で仕留めようと謀れば、暗殺は可能だった。容堂を闇に葬っても、山内家と土佐藩に動揺はなかった。

龍馬伝_14_7以上は暴論だが、幕末には容堂クラスの要人が何人も毒殺で死んでいる。まず、安政5年(1858年)の島津斉彬。50歳で急死した名君斉彬の死因について、司馬遼太郎は毒殺だと断定する見方をとっている。真犯人は島津久光。次に、慶応2年(1867年)の孝明天皇。36歳の孝明天皇の死因については、昔から毒殺説が根強くあり、歴史学界でも有力な説として論争が続いている。噂されている容疑者は、周知のとおり岩倉具視。最後に、同じ慶応2年(1866年)の徳川家茂。この20歳で急死した14代将軍について、特に毒殺説が言われているわけではないが、島津斉彬と孝明天皇のVIPが毒殺されているのなら、徳川家茂も毒殺されていて不思議はないと私は疑う。動機を持っている者がいたとすれば、最後の将軍の一橋慶喜が考えられる。この3人が毒殺死だった場合、結局、暗殺者は検挙されず、激動の政治情勢の中、真相は闇から闇へと葬り去られた。暗殺した側からすれば、首尾はうまく運んだということになる。成功率は高かった。であれば、半平太が証拠を残さず容堂を手にかけていても、風説が流布されるだけで、刑事事件にも政治事件にもならず、容堂亡き後の土佐が静穏に続いただけだった。東洋暗殺より政治的影響は小さかっただろう。革命家によるテロリズムの行使については議論は多々ある。しかし、ロベスピエールは、あのとおり、テロル(恐怖政治)の原語を作る歴史の現実を作り、レーニンもエスエルに対する無差別報復テロを敢行し、エカテリンブルク幽閉中のニコライ2世への処刑命令を下した。半平太にもう少しの政治的リアリズムの思考があれば、そこまで踏み出していたのではないかとイフヒストリーを考えてしまう。

最後に、政治史は不合格だが、NHKのドラマの社会史は楽しい。ちょうど、高知はどろめの季節である。酢醤油に生姜の薬味を添えて食べる。あるいは青ぬた(にんにくの葉をすりおろした味噌)で食べる。この季節、日本酒の肴に最高のどろめを食べたくなった。

龍馬伝_14_z
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ドラマ「龍馬伝」はときを超えるか?

 司馬遼太郎「竜馬がゆく」が作品としてすぐれているのは、ノンポリ青年だった僕のような人間にも、政治とはなにかを考えさせ、読者の意識と意志を高める効果が抜群だということです。信じられないほど多くの読者が司馬・竜馬に勇気をもらい、自分と友人たちの人生に照らし合わせてそれぞれの生き方を叱咤激励し、高め合ったことでしょう。
それは幕末という政治的激動期に起こった史実をもとにしていて、竜馬という一人の英雄を取り囲む仲間によってなされた「革命」の物語で、竜馬個人は「無血革命」を実践しようとしたことで、さらに当時の人間としてとてつもない大きさを感じます。
歴史に埋もれつつあった竜馬を発掘したのは司馬遼太郎といわれていますが、僕も改めて何度目かを読み直し、その構成の見事さ、>歴史認識の素晴らしさ、に再度感激しています。

 新たにつくられるドラマがその小説を超える、などとは思ってもみませんが、当初にはそういう期待が高まったのは事実です。が、回を重ねるごとに自分のなかにある幕末像、革命像とドラマがどんどんずれていき、いままでのところ、失望に変わってしまいました。

 一月に収録されたNHK高知の公開番組「龍馬ときを超える」が先日海外でも放映されました。このなかで弥太郎役で好演の香川照之が「この大河ドラマの撮影はリハーサルがほとんどなく、その都度なにが飛び出すかわからない」と発言されていました。
香川氏は当方ブログの「トウキョウソナタ」評 
http://nyckingyo.exblog.jp/9710665/ 
を書く以前からの大ファンです。ドラマでの香川氏の演技はいつもながらかなりオーヴァーで、OKです。
確かにこの大河ドラマはリハーサルを極力減らし、ぶっつけ本番ででてきたもの(リアルなもの)を編集する方針のようで、その雰囲気は濃厚に伝わっています。そして軽量のマルチカメラでその姿を追うなど、その方法論は大河ドラマとして革命的ですが、個々の俳優が勝手に動き、カメラも視線も実に不安定で、それを統率する演出の精神がどこにも観えず、いつも雑然とした騒がしい映像の連続で、疲れてしまいます。新しい手法にはそれを支える強い精神性のようなものが必要で、底辺の部分から不安定なのはいただけません。
特に、土佐勤王党の場面など、徒党を組んだ無思想の大集団がそれぞれ雄叫び(怒鳴り声)をあげているだけの陳腐な映像で、それを煙幕や泥で汚せば迫力がでるという演出方法は考え直してほしいと思います。

 このブログでドラマのなかの半平太の描き方を批判されていますが、いくらフィクションとはいえ、龍馬だけでなく革命に携わったすべての人びとのキャラクターがからんで歴史ができていくわけですから、それぞれの描き方にそれなりの歴史認識を考慮してほしいと思います。暗殺と陰謀のくり返された時代ですが「以下すべて平成体育会系で行こう」ではねえ。

 御託はさておいて、今回の福山龍馬は、脱藩後ということで、たくましく変身していて、汚れた分だけ輝いていて、たいへん好感がもてました。
「日本人」ということばを最初に使いはじめた龍馬。グローバリズムの黒船軍団に囲まれてガタガタの日本。いまはまったくかけらも観えていないけれど、その後裔の21世紀の日本人から「新たな龍馬」が生まれる可能性は、このドラマにもかかっているかもしれません。制作者の奮起をこころから期待します。 金魚
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