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『龍馬伝』第11話を見る - 永福寺門前事件と土佐勤王党の思想史

龍馬伝_11_1第11話は吉田東洋を演ずる田中泯の演技が抜群だった。NHK『龍馬伝』の公式サイトの中で、香川照之が、「田中泯さんの妖怪だとしか言いようがない風体にぜひご注目です」と書いている。まさに鬼気迫る妖怪。キャスティングの妙が映像の迫力を倍加させている。吉田東洋の人物像は、当分は田中泯のキャラクターで表象定着することだろう。 再来週の第12話で早くもドラマから消えるのが残念で、一昔前の「NHKへの助命嘆願」ではないが、特別な配慮で島津久光役あたりになって再登場させてもらえないだろうか。ただ、ストーリーの方は脱力するほど荒唐無稽で、史実からどんどん離れて支離滅裂な人間模様になって行く。ここ数回、45分間の放送中に首を捻って見ていることが多く、遺憾ながらテレビの画面に没入できない。来週はさらに言語道断な場面が登場する。半平太の人物像の描き方に根本的な欠陥があり、それは作者の身勝手で偏向した恣意による歴史の捏造だが、ここまで無理に捩じ曲げてしまうと、歴史物語の作品として致命的と言わざるを得ない。龍馬の人物像も損なわれる。公共放送のNHKが歴史を描く以上、最低限の史実は歴史認識として押さえる責任があるはずで、踏み外してはいけない一線というものがあるだろう。半平太像について歪曲と逸脱が酷すぎる。この点について、歴史家はNHKに厳重に抗議をすべきだ。勤王党への龍馬加盟の事情は、ドラマの設定とは全く違う。最初に半平太は龍馬に話を持ちかけるのである。無論、一対一(one-on-one)で。  

龍馬伝_11_2第11話の題材となったエピソードは、永福町門前事件とか井口事件と呼ばれるもので、実際にあった出来事である。事件は文久元年(1861年)の3月に起きていて、同年9月の勤王党結成に至る重要な契機として見逃せない位置づけにある。司馬遼太郎の小説でも、津本陽の小説でも、事件の収拾に龍馬が果たした役割は大きく、この一件の周旋と活躍で土佐の下士の間での龍馬への信望は決定的になった観がある。無論、東洋と龍馬がこの事件で面会した事実などない。東洋は土佐藩の最高首脳である。報告を耳に入れ、善後策に口を添えていた可能性はあるが、城下の刃傷事件に最初から介入して対応と処理を指揮するなど考えられない。土佐藩参政の吉田東洋の地位は、徳川幕府で言えば大老の井伊直弼と同じである。上士と下士が激突寸前の重大事件だったが、政治事件にまでは発展していない。東洋と龍馬は一度も顔を合わせたことはなかった。おそらく、東洋は龍馬という下士の存在を知らないまま死んだか、名前を耳にしても何も関心を持たず、記憶にないままだっただろう。独裁者の東洋は、藩政改革の断行に際して若手の下級武士の重用に熱心だったが、決して有能な人物を見抜いた抜擢だったとは言えない。長浜村の少林塾の門下生の人材登用は、要するに「チルドレン」で藩政の派閥を固めただけで、だから、後藤象二郎だの岩崎弥太郎だのの無能や俗物が成り上がっているのである。典型的な独裁者の依怙人事であり、それがために東洋は藩の上下から嫌われ憎まれた。

龍馬伝_11_3事件の現場となった永福寺門前は、現在も高知市井口町にある。この寺の境内は、龍馬の少年時代の遊び場所の一つだったという情報がある。上町(本庁筋)一丁目の龍馬の家から西へ歩いて10分。地図を見てすぐに気がつくことがある。永福寺のすぐ近くに、前回の番組の最後に址跡が紹介された平井収二郎と加尾の生家があることだ。徒歩で4分ほどの距離だろうか。と言うことは、少年時代の龍馬と加尾の二人は、永福寺の境内で一緒に遊んでいた可能性がある。つまり、二人の初恋のデートの場所。この事件の描写と説明は、司馬遼太郎、津本陽、NHKの三者で相当に違う。三つを見て総合的に判断すると、最初に酔漢の上士の山田広衛が路上で下士の中平忠一郎に因縁をつけ、無礼討ちで斬殺。その場面はドラマでは省略されていたが、第1話の「上士と下士」の中で状況はよく説明されている。それを、中平忠一郎の連れの少年の宇賀喜久馬が走って中平忠一郎の兄の池田寅之進に通報、すぐさま駆けつけた池田寅之進が山田広衛に一刀を浴びせ、その場で仇討ち。山田広衛と同道していた松井繁斉も成敗する。山田広衛は剣の遣い手で、江戸の千葉周作道場で修行した経歴も持っていた。山田広衛が池田寅之進に不覚をとったのは、現場の傍を流れる川に降りて水を飲んでいたからで、池田寅之進に背中を斬られた。その気配に山田広衛が気づかなかったはずはないが、まさか下士が背後から襲撃するとは思わなかったのに違いない。川は江ノ口川である。山田広衛と池田寅之進の家は、永福寺のすぐ近くの小高坂にあった。

龍馬伝_11_4ドラマでは、後藤象二郎が半平太に池田寅之進の切腹を言い渡し、それで決着する話になっているが、実際には、小高坂の下士と上士の二軒の家での両勢力の集結と睨み合いとなり、龍馬が両陣営を往復して調停する中、まず池田寅之進が自宅で切腹、続いて少年の宇賀喜久馬も切腹の処置となった。司馬遼太郎の小説とNHKのドラマには、宇賀喜久馬の切腹の場面は登場しない。また、司馬遼太郎の小説では、半平太は江戸に出て留守中である。津本陽の小説を読むと、龍馬は(山本琢磨の窃盗事件のときと同じく)二人を逃亡させようとするが、結局、宇賀喜久馬の切腹にも最終的に同意した結末になっている。また、宇賀喜久馬の切腹について、藩重役の意向を受けて両勢力が内々に協議した結果、下士側代表の半平太が決裁を応諾した様子を仄めかしており、この津本陽による半平太の関与の件が、NHKのドラマの筋立ての根拠になっている印象がある。半平太は事件の仲裁の表に出ず、藩重役との裏交渉を担当し、現場の仕切りと立ち回りを龍馬に一任していた。ドラマでは龍馬は丸腰で調停に行くが、司馬遼太郎と津本陽の小説では、上士側が引き下がったのは龍馬の剣術の凄腕を恐れた結果だった。真剣で立ち合って龍馬に勝てる上士はいなかったのである。龍馬は27歳、下士の中で堂々たるリーダーの存在になっていて、また、山本琢磨事件と同じく、半平太との絶妙の連携で紛争を収束している。現場で体を張って立ち回るのが龍馬、裏で政治交渉して上に頭を下げるのが半平太。それが歴史の真実で、半平太は龍馬を信頼しきっていた。

龍馬伝_11_5NHKのドラマでは、土佐勤王党についての説明が弱い。私は、作者はもう少し司馬遼太郎や歴史書を読み込んでいると考えていたが、思い違いをしていたようで、買いかぶりの結果は残念至極である。政治思想史の説明は、動画作品の展開では確かに難しいだろう。しかし、例えばジェームス三木が脚本を担当していれば、これほど粗雑で軽薄な説明にはならず、天保庄屋同盟の歴史について視聴者に理解させる中身に仕上げていただろうと思われる。『徳川三代』のときの、幕権と朝権をめぐる権威の争奪の経緯とか、それに仏教と神道の二つが絡む思想史について、実に説得的に描いていて感心させられたことがあった。勤王党を遡ること20年前、吾川、土佐、長岡の三郡の庄屋を中核とした秘密結社がすでに結成されていた歴史があり、そこでは、庄屋は将軍や大名の家来ではなく、天皇の王臣であるとする自己認識が確立していた。地上の民はあまねく天皇の臣民であり、将軍も大名も上士も下士も百姓もない。士農工商の身分差などない。天皇の下に万民は平等である。すなわち、一君万民思想。明治維新に先行する時代の一君万民思想として、これほど特徴的な思想史的存在はないだろう。封建的なヒエラルヒーの論理構造で身分制を基礎づける認識が否定され、一君を頂点に置くことで、万民はフラットでイーブンな権利的主体として社会的に位置づけられた。この天保庄屋同盟の思想と運動こそ、半平太の土佐勤王党の原型であり基礎である。そして、土佐には、天保庄屋同盟を媒介する政治思想史の源流と水脈があった。それは、藩学である南学(海南学派)であり、そして国学である。

龍馬伝_11_6司馬遼太郎も、津本陽も、この問題系についてある程度まで説明をしている。だが、学問的に十分とは言えない。少し話題が変わるが、私は、政治思想史の中で山崎闇斎に強い興味を持っていて、一時、専門的に研究対象にしたいと思ったことがあった。それは、丸山真男の晩年の論文である『闇斎学と闇斎学派』(1980年)に強い感銘を受けたからで、そのときの新鮮な衝撃は今でも引き摺っている部分がある。山崎闇斎の思想(垂加神道)というのは、まさに丸山真男の敵であり、いわゆる戦前の国体思想とか超国家主義の天皇制イデオロギーと呼ばれた教義の重要な一部を構成するものだった。闇斎学と平田国学。おどろおどろしいのはこの二つである。闇斎学は朱子学で、平田学は国学だが、この二つは政治的な意味や目的や機能の面で近似し共通した性格を持っている。延暦寺の僧侶だった山崎闇斎は、13歳のとき、土佐の山内一豊の義子で妙心寺の和尚の湘南(山内康豊)と出会い、それが縁で19歳のときに土佐の禅寺の吸江寺に行く。そこで、野中兼山と出会い、兼山との交友で影響を受け、谷時中の弟子となって南学(朱子学)に没頭する。やがて、仏教を捨てて朱子学の徒に転向した山崎闇斎は、土佐藩主の不興を買い、吸江寺を追放されて京に戻り、京の堀川で私塾を開く。塾の場所は、堀川通りを挟んで伊藤仁斎(古義学)の古義堂の向かい。山崎闇斎の塾設立を支援したのは、土佐藩家老になっていた野中兼山だった。因みに、臨済宗の妙心寺は土佐山内家の菩提寺であり、大連院の廟堂に千代と一豊の位牌と墓石と肖像画が仲良く並んで祀られている。山内家にとって千代がいかに大事な存在であったかが分かる。

龍馬伝_11_7闇斎学において野中兼山は決定的な位置を占める。二人とも性格強烈だった。その後、山崎闇斎は江戸に下り、後年、保科正之に招聘されて会津で学問を講じる。二人はまさにイデオロギーを同じくする同志となり、闇斎学は会津士魂の理論的中核の教義となる。闇斎学派を別名で崎門と呼ぶが、丸山真男の論文で詳述されるとおり、崎門は教義解釈の原理的純粋性をめぐって、師匠と門人、同門の論争者が先鋭に対立し、相互に破門し義絶する独特の体質と学風があった。「林家の阿世、崎門の絶交」という言葉がある。闇斎学の学問は闇斎の人格そのものだった。その思想を簡単に説明するのは難しいが、雰囲気は多少は伝わるだろうか。南学を藩学とした土佐、崎門を藩学とした会津、両藩とも幕末の歴史の舞台で活躍し、両藩とも佐幕だった。思想的に土佐と会津に縁が深い点は本当に面白い。土佐という国は、まさに政治思想史の宝庫のようなところがある。さて、話題が山崎闇斎に脱線した。南学と天保庄屋同盟、南学と土佐勤王党の思想史について概説したいが、とてもブログの記事で簡単に論じられるテーマではなく、その学問的力量も私にはない。もう一つ、国学について触れないといけない。土佐には「万葉集古義」141巻を著した有名な国学者の鹿持雅澄がいる。吉田東洋も鹿持雅澄の門下生で、東洋の和漢の学識の和は鹿持雅澄から授かったものである。この鹿持雅澄の妻が半平太の叔母で、すなわち親戚の関係にある。半平太にとっても、鹿持雅澄の国学の影響は決定的だっただろうし、鹿持雅澄の学派という面では半平太と東洋は同門である。さらに、親戚という点に注目すれば、半平太はまさに鹿持国学の正統嫡流のエリート意識があっただろう。学者が政治をする。学問の頂点に立つ者が政治の頂点に立つ。野中兼山以来の歴史が脈々と生きている感がある。

南学と国学の伝統は勤王党の攘夷思想に流れ込むが、昭和のおどろおどろしい超国家主義と対決した異端側の思想の流れも、明治以降、土佐は奔流として作り担って行く。植木枝盛、中江兆民、馬場辰猪の自由民権、幸徳秋水の社会主義、上田庄三郎のマルクス主義と続く抵抗側の流れである。

龍馬伝_11_z
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土佐庄屋同盟など

 大河ドラマに関する毎回の深いご洞察、感じ入っております。
今回の丸山真男の「闇斎学と闇斎学派」に関してはまったく知らなくて、非常に興味をもちました。
土佐の天保庄屋同盟に関しては、司馬「竜馬がゆく」にブックマークしていたので引用します。
― 土佐藩の上士が、気に入らぬ農民を無礼討ちにしようとして身柄の差しだしを庄屋に命じた場合など、決して差しださない。これにはいきさつがあり、竜馬がまだ六歳の天保11年に、土佐郡、吾川郡、長岡郡、高岡郡などの庄屋が秘密同盟をむすび「必ず公裁にかける」という盟約を結んでいる。
 しかもその理由は「農民は、幕府、大名、上士の私民ではない」というのだ。「皇民である」というのである。皇民というのは当時あたらしくうまれた社会科学的な用語というベきで、国民という現代語がないために同義に使われている。とまれ天保年間にこんな反封建的国民思想が。土佐の草深い田舎の庄屋どものあいだでうまれていた、というのは歴史の奇蹟であろう。しかもこの秘密同盟の但し書きに「それでも相手(上士)が斬りすてるといってきかなければ、皇民である農民を私裁するという意味から、それは朝敵をみなしてよろしい。そのときは容赦なくその上士を討ち果たす」
 すさましい密約同盟である。この庄屋同盟の基礎が、幕末になって下級武士、庄屋による土佐勤王党を生む一要因をつくるにいたる。更に維新後の自由民権運動につながっていくのである。この点、土佐の勤王運動は、長州、薩摩の勤王運動とは、いわば根本のどこかで匂いがちがっている。(巻四 p-294)

 最初にこの箇所を読んだときには、どこの国の封建江戸期の話なのかと信じられませんでした。
21世紀民主主義の現代、大企業が派遣の斬り捨て御免をつづけていますが、意味的にはおなじく、間接的な皇民(国民)の命の抹殺というように受け取れます。現代の庄屋同盟も労働組合も、いまいち勢いがなく、はたして勤反貧困党が力強く立ちあがりますか、どうですか。

 今回のドラマで、桜田門外の変が土佐に伝えられ、各藩で革命に向けた大きな動きになっていくわけですが、井伊直弼の名を聞くと大獄よりも、安政の不平等条約を思い出します。この条約改正には明治人の必死の努力をもってしてもその後半世紀以上がかかったそうです。
乱暴な比較ですが、太平洋戦争の無条件降伏から、沖縄返還までにほぼ30年を要して、現代の基地問題にいたる日米同盟の問題も、極端な「外交不備」という意味では似ていると思います。何でも幕末と比較して現代日本を語ってしまう、と怒られそうですが、たかが150年前の同民族と考えれば、さほどの違和感はありません。150年つづいた外交不備、いまだに吃音の少年のようにアメリカにまともにものをいうこともできません。この(乱暴な)比較論を当方ブログ「NY金魚」でぜひ書いてみたい、と思っています。
昨日NHKの「日本のこれから・いま考えよう日米同盟」を観ましたが、さまざまなお立場の人が視聴者を含めて多数、真剣に議論する、こういった番組の継続を望みます。出演者がすべて流暢に意見を述べているとはいえませんが、この番組をアメリカの官僚が観たら、少なくともいまの日本の外務官僚や政治家の声よりうんと真摯に伝わると思います。

つづく

つづき

つづき

 武市と土佐勤王党と龍馬の関係について、このドラマの作者の描き方が史実からはずれておかしい、というご指摘は同感です。ただそれでも、龍馬と幕末のイメージをこのようにポピュラーにすることは、こんな時代にはとてもプラスになっているのではないか、と思います。ただ今朝のニュースに首相の弟君議員が登場して、新党結成と自分を龍馬に例えたのには不快感を通り越して強い怒りを感じてしまいました。こういう手合いが龍馬のイメージを下げ、国政の品位を下げ、所属政党の格を下げ、しいては一部の国民の意識までを下げてしまうのです。政治家が幕末と現代を比較するには、熟慮した上で言葉を選ばないと本当に国民から馬鹿にされることになるでしょう。まぁこの御仁は兄貴からをも含めて、とうに国民からさんざん馬鹿にされているか。

 少し柔らかい話題で収めます。アメリカの実に多数の「舞踊」愛好家たちは、昨年のNYCでの田中泯の舞踊公演を待ちかねていたようですが、本人は大河ドラマ出演で忙しくて渡米できなかったということです。僕の友人のアメリカ人女性は「TVなんか」にでて、「舞踊」をサボるなんて、とずいぶんおかんむりでした。僕個人としては、田中泯氏の演技のほうを高く買うひとりです。
いつも長すぎるコメントであいすみません。 NY金魚

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