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『龍馬伝』第10話を見る - 青山霊園に眠る加尾、無縁仏寸前の佐那

龍馬伝_10_1第10話はラブロマンスのテーマが全編を埋め、終始、広末涼子の演技が絶妙で圧巻だった。この作品と加尾役に賭ける広末涼子の緊張感が伝わる。前日(3/6)の土曜夜に『龍馬を愛した女たち』の放送があったが、この番組の中でも、広末涼子の役作りに挑戦する並々ならぬ気迫と情熱が映し出され、単なるドラマの予告や宣伝に止まらない強い感動を視聴者に与えていた。今回の大河ドラマは特に国民の記憶に残る一作となるだろうが、その記憶の中でも、広末涼子の渾身の名演は語り草になるだろう。「時代劇でなければ出せない感情というものがある」と語っていたのが印象的だった。女優として成長していて、演劇論のセオリー面でも説得的な言葉を繰り出す。加尾の墓前に花を手向けたときの広末涼子の言葉もよかった。加尾の墓は青山墓地の一角にある。兄の収二郎が切腹して果てた後、京から土佐に帰った加尾は、平井家存続のため4歳年下の西山直次郎を婿養子に迎える。西山直次郎(志澄)は、志士の端くれで、板垣退助の麾下に入り戊辰戦争を転戦。立志社の副社長、土陽新聞の社長として自由民権運動のフロントで活躍、衆議院議員となり、最後は隈板内閣の警視総監にまで出世した。数少ない土佐藩閥の栄達者の一人で、こんな経歴の人間が他にも何人かいるが、興趣を覚えない。西山志澄の出世について行って加尾も東京に出、高級墓地の青山霊園に眠ることになった。一方の佐那は加尾と対照的で、最後は無縁仏になる寸前まで困窮と落魄の人生を辿る。  

龍馬伝_10_2いつか必ず龍馬が江戸で待つ自分のところに戻ってきてくれる、と、そう信じて待った佐那は、縁談を断り続け、生涯、龍馬の婚約者の立場と自負を貫いて独身を守った。この時代、女性が結婚をせずに一人で生き抜くということが、具体的にどういう境遇を意味するか、佐那の人生を見るとよくわかる。維新後は華族女学校(学習院女子部)で舎監、晩年は千住の裏長屋で灸治療師として細々と生計を立てて暮らす。そのとき、甲府自由民権運動の小田切謙明を治療した縁で、佐那が無縁仏になるのを憐れんだ謙明夫人の好意で、谷中の天王寺から遺骨を拾われ、甲府の小田切家の墓所に埋葬された。そういう経緯で、佐那の墓は江戸から遠く離れた甲府の清運寺にあり、墓石には「坂本龍馬室」と刻まれている。佐那と龍馬の婚約について、後年、佐那は周囲に龍馬の形見として黒木綿の紋服の片袖を見せ、それを証拠として示している。この紋付については、龍馬が佐那に与えた形見ではなく、千葉家が龍馬に渡すべく用意していたものだとする説もある。ただ、もう一つ、婚約説を補強する客観的な史料があり、それは、定吉が北辰一刀流の免許皆伝に当たって龍馬に贈った目録の中身である。昨夜(3/7)の第10話の冒頭にその授与の場面が登場したが、この中に、定吉と重太郎の署名だけでなく、佐那とその下の二人の妹の署名までが並んであり、この例外的な署名の事実が、千葉家にとって龍馬が他人ではなく、すでに身内の関係だったのではないかとする歴史家の主張の根拠となっている。

龍馬伝_10_3天真爛漫なお嬢様だった佐那が、意外で不幸な窮迫の人生を余儀なくされたのは、夫の収入がなく、老後を養ってくれる子供がいなかったためである。しかし、それだけではない。零落と貧窮を強いられたのは、佐那だけではなかった。江戸の町に住む者全てが、江戸そのものが、経済的に急速に没落し、時代の変転の中で貧窮を極めるのである。幕末維新の激動の中、江戸は「負け組」の運命を背負わされた。薩長が「勝ち組」で、土佐は「勝ち組」の中の「負け組」だが、その歴史的事情が、加尾と佐那の晩年と最期をくっきり分ける原因となっている。先週(3/2)のNHKの「知る楽」で、内橋克人が講師で登場して、渋沢栄一の「東京養育院」の事業に焦点を当てながら明治の貧困対策が特集されていたが、その中で、100万都市を誇った江戸の人口が、維新直後には半分の50万人に激減した衝撃的事実が紹介されていた。明治初年、徳川幕府の崩壊と官軍の江戸侵入の事態の中、混乱と戦火を避けるべく富裕な町人層が江戸を捨てて地方に去り、どこへも逃げられない貧しい者が江戸に取り残される。新政府の統計調査では、50万人のうちの6割が貧民で、その中の3分の1が住む家も食べるものも無いという悲惨な状態に陥っていた。繁栄した江戸が衰退して行く姿は、すでに龍馬が生きていた頃から始まっていて、その様子が『竜馬がゆく』(文庫本第4巻(P.181-182)にも描かれている。文久3年(1863年)、小説の叙述によれば、当時、政局が京に移った情勢もあり、大名が江戸の屋敷に駐在させる武士の人数を削減していた。

龍馬伝_10_4吉田東洋的な家臣団リストラの影響もあったかも知れない。政治的激動の中で各藩は待ったなしの行政改革を迫られ、また、幕府の権威失墜と幕政改革で参勤交代はなし崩しにされて行き、江戸で寄食する各藩の武士の数が急減した。江戸は消費地であり、100万都市の人口の半分は武士で、国元からの仕送りで生活している。江戸の経済は地方からの送金で成り立っていた。不景気と物価高が文久年間から江戸を襲っていた。そして幕府崩壊と官軍入城を迎える。そうした江戸の運命の中に佐那の人生も巻き込まれていた。もう一つ、剣術道場の没落という問題も背景として思い浮かぶ。門弟千人を誇った千葉道場も、廃刀令と四民平等と文明開化の世になれば、時代の波に洗われるのは必然だろう。龍馬が江戸に遊学した嘉永から安政の頃、黒船来航と攘夷騒動の世情の中で剣術道場は繁盛を極め、江戸の町に300軒を超える道場が並んで勢力と事業を競っていた。その隆盛が一気に萎む。NHKの『龍馬を愛した女たち』では、貫地谷しほりが甲府の佐那の墓を訪ねる場面はなかった。佐那の墓にこそ花を手向けて欲しいと思う。加尾と龍馬の関係については、初恋の相手だったという伝承はあるが、その恋愛がどこまでの内実だったかを証明する史料に乏しく、ドラマの熱愛は創作として受け止めざるを得ない。龍馬が求婚したのに、半平太と収二郎が悪辣な政治的謀略で二人を引き裂き、無理やり加尾を京に行かせたというのは、架空の作り話で度が過ぎている。むしろ、第10話で言えば、目録の中にある佐那の署名にこそ注目がされるべきだった。

龍馬伝_10_5龍馬をめぐる女性たちというテーマでは、私の場合は、第一に浮かぶのは江戸の佐那である。佐那は明治29年に58歳で死んだ。佐那と加尾は同い年で、お龍は3歳年下。明治16年、龍馬を主人公にした小説『汗血千里駒』が土陽新聞に連載され、世間が龍馬に注目して佐那の存在が話題になったとき、佐那は形見の片袖を周囲に見せ、婚約者の自己証明を言うが、それに対してお龍は剥き出しのライバル意識を燃やし、龍馬による佐那への悪口を回顧談で証言している。曰く、「千葉の娘はお転婆だったそうです」「佐那は俺のためには随分骨を折ってくれたが、俺は何だか好かぬから取り合わなかったと言っておりました」(『現代視点 坂本龍馬』 P.144)。気の強かったお龍の性格が伝わるエピソードであり、龍馬の言葉が事実なら、男のずるさが透けて見える裏話である。龍馬が死んだ後も、女の戦いが続いていた。NHKのドラマでは4人の女が艶やかに競演するが、司馬遼太郎の小説では、数え切れないほど次から次へ女が出て来る。江戸で他に1人、土佐で他に3人、伊勢で1人、讃岐で1人。想像するのは、もし龍馬が正式に佐那と結婚して、佐那と乙女だったらどうだっただろうという取り合わせである。周知のとおり、お龍と乙女の「嫁姑」の関係は具合が悪く、龍馬の死後、坂本家に引き取られて土佐に来ていたお龍は、1年足らずで土佐を離れて京都に戻ってしまう。武芸で育っていた佐那となら、この「嫁姑」の関係は比較的うまくいったのではないか。文武両道で「はちきん」の乙女と、京女で町医者の娘で革命家のお龍とでは、性格の不一致は無理からぬところと思わざるを得ない。

龍馬伝_10_6龍馬との思い出が遠ざかる中、賑やかで楽しかった江戸の町が廃れ、江戸の民衆が窮乏化して路上に貧民が溢れ、遂に町の名前まで変えられてしまい、それを孤独に目の前で見ていた佐那は、どれほど哀しくやりきれない気持ちで日々を送っていただろう。NHKのドラマは、兄の収二郎が加尾と龍馬の間を引き裂こうする理由について、専らイデオロギー的な態度の問題、すなわち攘夷主義への恭順と半平太への帰依が龍馬において薄弱だったからという理由で説明している。しかし、この説はフィクションで、しかも歴史認識として悪質で論外な捏造の類の創作であると言わざるを得ない。収二郎が京の加尾に宛てて書いた手紙が残っていて、そこに脱藩した龍馬が加尾に接近するのを警戒する次のような表現がある。「もとより龍馬は人物なれども、書物を読まぬ故、時としては間違いしことも御座候えばよくよく心得あるべく候」(『現代視点 坂本龍馬』 P.79)。これは、NHK的なイデオロギーに基づく龍馬に対する否定的評価ではなく、龍馬の女の噂の多さを知っていた収二郎が、身内として妹を心配したものだという説がある。普通に考えて、北辰一刀流の免許皆伝で凱旋した龍馬は、城下の若い娘たちにとって婚活希望の最たる目標だっただろう。龍馬の家(才谷屋)は城下屈指の豪商で、カネには一生不自由しない。龍馬は次男坊で、家督を継ぐ責任もなく、すなわち煩わしい舅も姑もいない。おまけに坂本家はあの自由闊達な気風。坂本家の財力で新築の立派な道場を一等地に構えてもらえ、そこの御新造さんに収まっていれば、一生安楽で裕福な人生を送れる。娘たちが魅力を感じる要素は限りなくあった。

龍馬伝_10_7番組の最後に紹介されたが、平井収二郎の墓と生家址が高知市山手町にある。映像ではJR土讃線の線路と踏切のすぐ横に誕生地の碑が建っていた。収二郎の墓のすぐ近くに坂本家の墓所もある。丹中山(たんちやま)の墓所と言ったり小高坂の墓所と紹介されたりもする。NHKが収二郎と加尾の生家址を見せたのは、坂本家の墓所を訪れたときは、ここも忘れずに回りなさいという配慮だろう。上町一丁目の龍馬の家から歩いて10分ほどだろうか。長崎に発つ弥太郎を龍馬が見送る場面が撮影された土佐神社は、中心部からは東北東にやや離れた高知市一宮にある。無論、弥太郎の長崎行きを龍馬が見送ったなどという史実はない。ただ、時間軸的には整合はとれていて、江戸からの龍馬の帰国とほぼ同時に弥太郎が長崎に向かう。ドラマでは、弥太郎が吉田東洋の塾に入って、そこで後藤象二郎と親交を持ち、出世の糸口を掴んだ事実が省略されていた。弥太郎の入牢は安政2年(1855年)で、長崎行きは安政6年、東洋の少林塾には前年の安政5年に入門している。津本陽の小説『龍馬』では、加尾は登場するが、龍馬の恋人としては描かれていない。小説の中の重要な登場人物としての位置付けもない。城下小高坂の一弦琴の塾で乙女と加尾が稽古仲間だったという紹介がある(集英社文庫 2巻 P.123)。津本陽の小説の先は未読だが、ドラマのような、京での感動の再会の場面は登場しないだろう。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の方は、言うまでもなく、加尾はお田鶴さま(福岡田鶴)となって登場し、物語全体で重要な位置づけを持って龍馬と絡む。二度目の江戸遊学から帰国する途中、二人は産寧坂にある明保野亭で密会して結ばれる話になっている。

加尾については司馬遼太郎の小説では何も分からない。史実を意識する津本陽が佐那をどう描いているか、注目して確認したい。

龍馬伝_10_z1
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現代人龍馬

 毎回の実に詳しい解説、感謝しております。
この大河ドラマは幕末における激情が飛び交い、今回は悲恋ドラマとしてもとてもおもしろくできていると思いますが、このブログでご指摘のように、物語を誇張するために史実とかけ離れすぎてはかえって興を削がれてしまいます。その点やはり司馬遼太郎「竜馬がゆく」は、もちろん多くのフィクションを含んでいるのですが、物語の格調の高さは抜群です。大河ドラマだからしょうがないのかもしれませんが、弥太郎物語以外はもう少しテンションを低くした方がバランスがとれるのでは。広末涼子の演技抜群、まったく同感。

 以前、竜馬のもらった北辰一刀流の免許皆伝の目録が、海を渡ってアメリカまで旅行し、また高知県庁に帰ったと言う話を書きましたが、
http://nyckingyo.exblog.jp/7261478
そこに佐那さんの署名までがあることは、まったく知りませんでした。

 またメトロポリタンの「日本の武具展」の記事では「竜馬がゆく」のなかの、龍馬の剣は異獣サトリをも倒す「無想剣」ではないか、という逸話をとりあげ、サムライと精神論のことを書きましたが、
http://nyckingyo.exblog.jp/10573874/
おなじ本に、剣はただの機能的な道具であり、そのなかに魂など入り込むわけがない、という龍馬自身の考えの記述を見つけました。竜馬は剣が強かったが、実に合理的な考えで、侍の伝統である精神論など受けつけなかったともいえます。それでいてかれの精神性がまわりに限りない融和を生み出していることも不思議です。

 個人のそのときの感情などはそのときにも無限に移り変わり、後世の人がそれをどう捉えるかで歴史も変遷してしまう、と思うのですが、大きなときの流れを観てわれわれの生きている現代世界に当てはめるのは実に有意義だと思うのです。
強くて優しい龍馬が当時の女の子にモテモテだったのは当然ですが、男女を問わず現代日本人に深い感銘を与えてつづけているのは、かれの当時としては飛び抜けた「現代性」をもった思考方法のことだと思うのです。 金魚
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