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『龍馬伝』第9話を見る ? NHKの描く半平太の人間像に問題あり

龍馬伝_9_1桶町一丁目の千葉定吉の道場は、一説では現在の八重洲ブックセンターのすぐ近くにあった。『龍馬が歩いた幕末地図』(朝日新聞社)を見ると、嘉永年間の古地図と現在の地図の二つが対照され、その位置が特定されている(P.38-39)。この本屋には、ほとんど毎日のように通い詰めていた時期があり、龍馬が歩いていた同じ地面を私は踏み歩いていたことになる。そう思うと感慨深い。千葉道場の敷地の西、現在の外堀通り(東京駅八重洲口前の広い道路)は、その名のとおり江戸城の外堀の水路が南北に流れていた。鍛冶橋交差点には鍛冶橋が架かっていて、鍛冶橋を渡った向かいに土佐藩の上屋敷があった。現在の東京国際フォーラムの北半分とJRの架線を超えた東隣の駐車場の敷地になる。上屋敷には藩の上士が詰める。龍馬や半平太が住んでいたのは、築地にあった中屋敷の長屋で、現在の有楽町線新富町駅の付近、中央区役所が建っている場所である。内堀は今も皇居の濠として健在であり、外堀と内堀の間の土地が丸の内の地名となる。丸とは、二の丸、三の丸の丸、すなわち城を意味し、丸の内とは城の内側の意味である。丸の内には、松平姓を許された格式の高い大名の屋敷が並んでいた。そこを弥太郎が買い占め、三菱の神聖な領土にして今日に至る。土佐藩邸のあった東京国際フォーラムの北側には、道路(鍛冶橋通り)を挟んで、三菱東京UFJ銀行の本店ビルと三菱電機本社ビルの二棟が聳えている。その辺を毎日ぶらぶら歩いていた。  

龍馬伝_9_2丸の内の地名は全国にある。城のある地方都市には、必ず城の傍に丸の内の地名の住区がある。名古屋、金沢、松本、岡山、高松、松山、そして高知にも丸の内はある。城の外堀と内堀の間に整地された区画は、江戸時代から身分の高い上級藩士の壮麗な屋敷が配置される一等地で、その伝統は廃藩置県後も変わらず、県庁とか市役所とか裁判所とか、そういった「官」の事務所が集中する行政の中心地(官庁街)となって今日まで続いている。龍馬が詰めた築地の中屋敷から千葉道場までも近く、徒歩で15分ほどだろうか。半平太が塾頭を務めたアサリ河岸の桃井道場(鏡新明智流)の士学館はもっと近く、現在の首都高京橋JCTを少し南に下った地点になり、中屋敷から歩いて3分の至近距離である。アサリ河岸という地名から連想されるように、江戸前(東京湾)にすぐ出る間際の埋立地(築地)に水路が縦横に廻らされていて、隅田川河口の海から物資を船が運搬する水路が交差する河岸に士学館はあった。今、その水路は埋め立てられて道路になり、一部はその上が首都高速環状線になっている。雑然とした殺風景な環境であり、小さな古いビルが立ち並び、歩道の狭いストレスな道路があり、地方から訪れた旅人が散歩して楽しい都市空間とはとても言えない。当時はどれほど風情のある美しい街並みだっただろう。海岸沿いの快適な居住区であり、賑やかで威勢のいい江戸っ子の商業地でもある。路地の軒先や水路の船の上から、背伸びすれば江戸前の青い海が見えただろうか。

龍馬伝_9_3司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中に、「国もともわるくはないが、人情はやはり江戸だなあ」と龍馬に言わせる件がある(文春文庫 第1巻 P.367)。龍馬が二度目の剣術修行で江戸に来たとき、ちょうど先週の『龍馬伝』第9話の冒頭の場面だが、小説にはこの言葉が登場する。安政3年(1856年)、龍馬が22歳のときである。この言葉をこれまで何度も思い返してきた。私が東京に出てきたのも、ちょうど同じぐらいの年だった。「人情はやはり江戸だなあ」。そうなのだろうか。昔の江戸はそうだったのだろうか。それとも、今の東京も同じなのに、私が迂闊で無神経だから気づかないだけなのだろうか。答えが明確に定まらないまま、年をとって、上は意味のない問いになってしまった。けれども、何かの拍子に、この司馬遼太郎が言わせた龍馬の言葉が脳裏をよぎり、暫く、その言葉の前に佇む時間を送ってしまうことがある。こんな小説の端の言葉に拘るのは、自分の心が未だ若く未熟な所為なのだろうか。ただ、この東京の空の下のどこかに、私と同じような鬱懐や諦念を持っている者がきっといて、NHKの『ブラタモリ』の地図と解説に見入りながら、昔の江戸の町と人を想像しているのではないかとか、そのように思ったりもする。小説で龍馬がしみじみと感じた「人情」の現場は、直接には、桶町の定吉と重太郎と佐那の出迎えだった。ドラマの第9話では、貫地谷しほりが演ずる佐那がすっかり成長した娘になっていた。龍馬の物語の中でも佐那は特別なヒロインで、後の半生を知る者は感情移入せずには見られない。佐那は、きっと龍馬が江戸の自分のところに戻ってきてくれると信じ、縁談を断って江戸の町で待ち続けた。

龍馬伝_9_4ドラマの第9話の主たるエピソードとなった山本琢磨の逃亡事件について、なぜか司馬遼太郎の小説の中には登場しない。重要な史実なのに、欠落は意外な感じがする。事件が起きたのは安政4年(1857年)の8月で、松浦玲の岩波新書『坂本龍馬』(P.12)によれば、半平太が国元に送った手紙に事件の詳細が書かれていて、それが史料となっている。NHKのドラマでは、半平太が下士団の面目と攘夷党の規律を守るため、山本琢磨に切腹を強要する筋立てになっている。そして、琢磨を助けようとする龍馬と厳しく対立した話になっている。だが、これは史実とは少し異なるようで、半平太の個性をデフォルメして描き、無理に龍馬の思想や人格とのコントラストを強調しようとする制作者の作為に基づいたフィクションである。松浦玲の岩波新書でも、半平太と龍馬は一緒になって琢磨救命に尽力し、二人で協力して逃亡させたと説明している。朝日新聞社の『龍馬が歩いた幕末地図』でも、半平太と龍馬の「二人は親友でもあった。(略)土佐藩士が起こした時計窃盗事件を協力して解決するなど、共に信頼する関係であったことがうかがえる」(P.40)とある。この歴史認識が妥当で一般的であり、NHKのドラマの描き方には問題がある。小さな史実の異同については無視できるし、弥太郎と龍馬が少年時代からの友人だったという架空の設定も、龍馬の歴史物語の本質を掴む上では特に障害にはならない。しかし、半平太と龍馬の二人の関係をあのように対立的に描くことは、龍馬の物語の本質という観点から異議を唱える必要があるだろう。龍馬にとって半平太の存在は大きく、二人は親友で、最後まで互いに尊敬し信頼し合う同志なのである。

龍馬伝_9_5ドラマの作者は、半平太のイデオロギー過剰の思想体質を視聴者に説得するべく、その点に無理に拘ったキャラクターを半平太役に押しつけて演出している。そうすることで、半平太の原理主義とは対照的な、実利や人情に即く龍馬のマイルドでフラットな個性を際立たせている。半平太は過激な原理主義者にされてしまっている。しかし、それは少し違う。まず、龍馬自身が土佐勤王党に最初に加盟した事実がある。江戸で勤王党を結成した半平太が、土佐に帰国して最初にオルグした相手が龍馬で、親友で人物である龍馬だからこそ、半平太は真っ先に加盟を頼み込み、龍馬は意気に感じて血判署名した。そして郷士の仲間を集めた。半平太がリーダーで龍馬がサブだったが故に、党は一瞬で体制を成し、土佐の郷士を政治集団に纏めたのである。二人の間の友情や信頼関係がドラマでは落ちている。だが、この重要な点が入らないと、龍馬は単にビジネスの夢を追いかけた弥太郎の魁の存在で終わってしまう。革命家でなくなる。龍馬の政治思想という問題は、龍馬を作品で描くときの一つのイシューで、それはアポリアと言うよりトラップだが、作者のイデオロギーに対する拒絶反応や無知が動機となり、革命家としての龍馬の実像から目を背けさせ、現代人のビジネスマンの理想像に収斂させてしまう傾向に陥りやすい。もう一つは、半平太の人格の問題で、普通に考えればわかるが、単なる狂信的なイデオロギーの徒では、志士の上に立つ指導者にはなれないし、剣術の腕だけでは桃井道場の塾頭にはなれない。半平太が包容力のある人物で、教育者としての資質があり、理論だけでなく人物が抜群だったからこそ、指導者として土佐の郷士に仰がれたのである。

龍馬伝_9_6津本陽の小説『龍馬』(集英社文庫)では、山本琢磨事件が落とさず描かれている(第2巻 P.30-34)。そこでは、半平太と龍馬が鍛冶橋の上屋敷に呼び出され、藩の目付から琢磨を捕えて差し出すように言われる。公儀(町奉行所)の手配がすでに市中に回っていて、被害者(町人)に弁済では済まなくなっていたのである。半平太は悩みつつ逮捕に動くが、先に龍馬が一計を案じて琢磨を逃亡させ、半平太が藩に詫びて釈明という二人三脚をする。津本陽はこう書いている。「武市半平太は、山本卓馬の事件によって、龍馬の資質を認めるようになった」(P.34)。そして半平太にこう言わせる。「あいつは学問はせんが、識見を、持っちゅうぜよ」「俺は龍馬のような切れ味は持っちょらん」(P.34)。NHKのドラマとは逆の描き方をしている。NHKのドラマは、山本琢磨事件で半平太と龍馬の間が冷たく断絶し、両者の不信感が高まるように描いているが、津本陽の小説では、琢磨を逃がした龍馬の行動を半平太が賞賛し、その人物の大きさに敬服の言葉を発するのである。事実はどうだったのか。山本琢磨の事件については、半平太の手紙の史料証拠しかない。しかし、NHKの描き方は後の歴史(勤王党に果たした龍馬の役割)を説明するのに無理がある。さて、山本琢磨だが、NHKの番組の最後で後日談が紹介されたように、時計窃盗事件後に函館でロシア正教のニコライ神父と出会い、洗礼を受けて日本での布教活動に従事するようになる。そのNHKの説明には出なかったが、函館に渡る前、各地を転々と逃亡していたとき、新潟で新島襄と出会っている。新島襄が米国に密航するのを手助けしたという逸話も残っている。

龍馬伝_9_7こういう話が本当に多い。山本琢磨は龍馬に命を助けられ、藩と仲間から逃亡して維新後も生き延びた。維新後も生きて、歴史に名を残す重要な仕事をした。ドラマの中の、(フィクションだが)あの中屋敷で琢磨と龍馬を囲んで責めた者たちは、殆ど全員と言っていいほど、数年後の政治的激動の渦中で絶命している。琢磨は生き残った。窃盗事件のとき、琢磨は23歳。桃井道場士学館で腕を認められた剣客だった。半平太と龍馬と琢磨の3人は血の繋がった親戚同士である。3人に共通するのは剣術の技能で、そこに血縁が証明されている。第9話では、弥太郎の出番が少なく、牢の中で泥棒に算術と商法(経理と経営)を習った一幕は短く端折られて撮られていた。NHKの「龍馬伝」は「弥太郎伝」の趣が強くなり、香川照之の名演が光り、弥太郎の出番が少ないと何やら物足りなく感じるようになってきた。司馬遼太郎の小説(文春文庫 第1巻 P.363-365)によると、弥太郎が牢の中で出会った服役者は、太助という名の魚梁瀬村の木こりで、藩の専売品である木材を盗伐して大坂商人に密売した廉で捕縛されていた。魚梁瀬村は、現在の安芸郡馬路村魚梁瀬。土佐と阿波の国境の山奥であり、豊かな森林に恵まれ、昔から林業が盛んな土地である。漫画家のやなせたかしの姓は、おそらくこの村の地名が由来だろう。東京と高知を結ぶ航空便は、この魚梁瀬の上を東西に飛行する。司馬遼太郎の小説によると、弥太郎は太助の商業教育に感謝し、金持ちになったら小判を物相櫃に詰めて恩返しすると言い、実際に後年、岩崎家が太助の子孫に夥しい金を贈って恩に報いたとある。本当の話だろうか。三菱グループの公式HPの伝記には、入牢中に「同房の商人から算術を学び、商売の機微を教えられた」とあるが、子孫に大金を贈った逸話は記述がない。

次回の第10話は、また土佐に戻る。帰りを待っていた加尾との絡みがある。


龍馬伝_9_z
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名誉回復

真実に近付く勇気。情熱。

すみません。本記事、落涙しながらの閲覧となりました。

逃げ延びた命は延命し、攻め立てた命は落命した…。歴史の業然。

武市と山本への名誉回復の本記事。遺族の血筋の方々からのコメントが待ち遠しい限りです。

ブラタモリ。私も欠かさず観賞しております。タモリ倶楽部の企画を国費投入してグレードアップ。

肩の凝らない、ロマン薫る、稀な史学地理学と路上博物学と紀行とのコラボ企画と評価しています。

いのちを救う人情

 「命の値段」と題された今回の演出を、龍馬のなかの人命を尊重する優しさ、というかたちでごくすんなりと見てしまいましたが、いわれてみれば龍馬と半平太をこの部分で必要以上に対立させる構図はおかしいですね。各回のテーマ、主人公の言動をわかりやすく強調するために、ほかの歴史上の人物像をゆがめてしまうのは歴史ドラマとして行き過ぎかもしれません。
山本琢磨の逃亡事件は、僕も「津本・龍馬」で知りましたが、半平太の性格から考えて、ふたりが協力して琢磨の命を救おうとした、という津本氏の見方が正しいような気がします。

 このあと武市の土佐勤王党のほとんどをはじめ、実に多くの屍を踏み越えて革命がなされていくわけですが、龍馬は大政奉還という無血革命を提案して、終始一貫、命の消耗を最小限にしようとした英雄だと思います
それでも維新後の西南戦争で「血の流れる量が足りなかった」と薩摩の西郷自身がつぶやいているように、革命とは大量の血を吸い取るものなのかもしれません。

 「江戸」は実に豊富な「人情の町」だったと思いますが、維新以来の「東京」はどんどんせち辛くなって、現代では秋葉原に吹くオタクたちの空っ風のように、人情ということばさえ言うことも憚られる感じがしました。それでも若いとき住んでいた10年のあいだに、ほんの数人ですが、江戸っ子の名残の濃厚な、気っ風のいい人情家に出会った思い出があります。
以前にそんな思い出を託して、当方ブログに「人情噺」
http://nyckingyo.exblog.jp/7350191/ を書いたことがあります。
江戸に限らず、幕末までの日本では、機械の量が圧倒的に少なく、ひととひと、そして家畜などの動物にも情が通い合う温かい土の社会だったんでしょうね。

 少し古い話題ですが、鳩山総理の施政方針演説で「いのちを守りたい」と幾度も叫ばれていました。贈賄や政治力の弱さで現在人気超低迷ですが、僕はこの演説だけは買っています。理念だけで具体性がない、とか言われていましたが、過去の総理でこんなことを言ったひとがいたでしょうか。これを聴いたひとりの自民党議員は「突然あんなことを言い出して、頭がオカシクなったんじゃない」というような意見でしたが、できるできないはともかく、国の代表が「国民のいのちを守る」と言ってどこがオカシイのでしょうか。その自民議員のアタマのほうが、よほどオカシイと思いませんか。そして大多数のひとがその御仁のアタマの方がオカシイとは気づかないほどオカシイ社会なのです、いまのこの国は。 金魚
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