スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『龍馬伝』第六話を見る - 吉田松陰と阿部正弘、江戸の道場と私塾

龍馬伝_1『龍馬伝』の第六話は吉田松陰が登場、小舟で下田沖のペリーの艦に乗り込もうと漕ぎ出す場面が出た。無論、龍馬と桂が下田の松蔭と会偶したなどという事実はなく、全てはドラマの創作だが、作品がどのような脚本で場面を作って見せるかは大いに楽しみだった。このドラマは場面の一つ一つで実に説得的な絵と言葉を見せて、視聴者の私を堪能させてくれるからである。期待が裏切られず、常に期待以上のものが返され、大いなる満足と感動を得られる。脚本と演出が素晴らしい。カメラも素晴らしい。毎回、釘づけになって見入っている。今回、作者は松蔭をどう描くだろうかと注目したが、仕上がりは実に素晴らしかった。よく勉強している。外してない。正確な松蔭理解の基礎がある。短い時間の出番だったが、松蔭が桂と龍馬に発した言葉は、松蔭の人物像を見事に捉えていて、視聴者に強い印象を残すことに成功した。龍馬と松蔭の二人の会話のやりとりが第六話のクライマックスである。見ながら、「これでいい」と思った。あれでいい。あれが松蔭だ。激情型の人物であり、決意と行動で自己を示す預言者であり、発する言葉は常に過激な詩人であり、情熱的な実践家としての姿が相対した者にとって永遠の教育者として心に残るのである。革命家。革命の第一世代。「黒船に乗ってアメリカに行くのは僕のやるべき事であって、君のではない。君は何者だ、何のためにこの天の下にいる。君のやるべきことは何だ、考えるな、己の心を見よ。そこにはもう答えがあるはずだ」。  

龍馬伝_2松蔭は常にこのように言葉を発し、対話する相手と自分の心の奥に言葉を差し込んで問い詰め、自己を行動に駆り立て、生命をもって思想を発現し証明しようとした。陽明学的な知行合一(理論と実践の統一のテーゼ)に身体を賭した。放送でも紹介されたが、ペリーは『日本遠征記』の中で松蔭らの密航の件に触れ、次のように記している。「日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、興味深いことである。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と有望であることか」。ポーハタン号で松蔭と金子を接見したのは通訳のウィリアムスで、ペリーは提督室にいたまま面会はしなかったが、松蔭が提出した書面も読み、ウィリアムスから詳細な報告を受けている。文庫版の『世に棲む日日』では、第2巻の最初のところに下田密航事件が出てきて、司馬遼太郎は次のように書いている。「ペリーはよほどこの二人のことが心配になったらしく、参謀大尉を下田奉行所に派遣し、まず生きていることを確かめさせた。さらになるべく寛大な処置を願っている、と奉行所に希望を述べさせた」(P.39)。考えるべきは、全国の志士を回天へと扇動したこの預言者は、このとき24歳の青年だったという事実である。渋谷の街を歩いている今の24歳の男の子を想像して欲しい。彼らと年は同じだったのだ。

龍馬伝_3嘉永7年、このとき龍馬は19歳、桂は21歳。龍馬と桂の関係もドラマの中身は創作だが、描き方として当を得ていて基本的に悪くない。19歳と21歳の二人は仲がよかった。龍馬が最初に出会って影響を受ける他藩の志士が桂であり、『竜馬がゆく』でも桂は第1巻から登場して、二人で剣の試合をする場面がある。土佐と長州はよく若者を江戸に出して学ばせていた。仲がよかったから、信頼関係があったから、それから12年後に薩長同盟を締結することができた。龍馬の説得に桂が耳を傾けることができた。ドラマを見ながら、つい、想像をしてしまう。征韓論の政争のとき、龍馬がいたら、孤独な桂を励まし、再び桂と西郷の間を取り持つ役割を果たしたのではないか。桂は鬱病になって病死する運命を免れるか、もう少し長生きして太政官廟で政務を執っていたのではないか。龍馬が生きていたらと、桂(木戸)が病床で思うことはなかっただろうか。龍馬の場合、本当に不思議なことに、誰との間でも人間と人間との強い信頼関係がある。それこそが奇跡なのであり、日本の歴史に奇跡を起こすのである。龍馬と半平太、龍馬と勝、龍馬と春嶽、龍馬と西郷、龍馬と桂、龍馬と晋作。桂は斉藤道場(神道無念流)の塾頭となり、龍馬は千葉道場(北辰一刀流)の塾頭となる。そして、半平太は桃井道場の(鏡新明智流)の塾頭となり、当時の江戸の剣壇の名門三道場の塾頭を後の革命家3人が占めていた。これは、偶然ではない。

龍馬伝_4そうした資質と名望があったから、彼らが志士のリーダーになれたのである。剣術の腕だけでは塾頭には推挙されない。ドラマに出て来る人間に、どれも好感が持てるのは何故だろうかと、不思議に思いながら見ている。老中の阿部正弘も悪くない。俳優の升毅がよく演技しているせいもあるが、幕政の責任者としての舵取りに感心させられる。よく開国を決断したものだ。そして、開国の方針を諸大名に合議させる政治体制に切り替えたものだ。従来、それは天下太平の中で政治的対応力のない幕府が、黒船の出現に右往左往し、優柔不断と小田原評定の挙げ句に砲艦外交に屈服し、ズルズルと権威と権力を失ったプロセスとして観念されている。そういう歴史の一般通念になっているけれど、事実を正しく見れば決してそうではない。阿部正弘は一人の政治家として責任をもって決断しているし、その決断は誤りではなかった。もし、米国の開国要求を拒絶して戦争に及んでいれば、日本は一体どうなったか。今の鳩山由紀夫や小沢一郎よりも、阿部正弘の方がはるかに優秀で有能な政治家に見えるし、国のことを思って政治をしているように見える。朝鮮や中国と近代史を分けたのは、志士たちの活躍以上に徳川幕府の優秀と有能があるのではないか。いい日本政府をしている。第五話だったか、ペリーを応接した浦賀奉行が、開国要求の意味や衝撃は分かりながらもポーカーフェイスを通し、言語の壁を武器にして「長崎へ回れ」の一点張りで押し通す場面があった。よく外交をやっている。努力を評価できる。今の外務省に較べて、徳川幕府の外交はずっと立派だった。

龍馬伝_5英語とオランダ語を使い、オランダ語の字幕まで挿入して、ペリーとの交渉をリアルな映像にしている製作の努力も素晴らしい。第四話から第六話まで江戸が舞台になり、特に第四話と第五話の歴史テーマは剣だった。剣について教えていた。防具も稽古も所作もすべて今と同じ。日本の剣道が、よく伝統を守っていることを考えさせられる。そしてどうやら、千葉道場(北辰一刀流)の剣術のスタイルが、今のわれわれの学校教育の体育などで採り入れられている剣道の技術や課程の基本になっているのではないかという想像もさせられた。伝統を守っている日本の剣道に対する尊敬と同時に、千葉道場の近代性という問題も考えなければならない。幕末、あのようにして武士も町人も同じ道場に入門して剣を学んでいた。道場はまさに教育機関であり、人を育てる場所であり、留学生が交流して人脈を作る場であり、人が身につけていたのは剣の技術だけではなかった。素晴らしい。今、土曜の夜のNHKの歴史ドラマで松阪慶子が出演する『咲くやこの花』という番組が放送されている。あのドラマの中でも、江戸期の日本の教育や知識のあり方がよく伝わる。教育は一人の教育者が師範となって私塾を開き、町家から子弟を集めて行うのである。塾を開く教育者には何の肩書きもなく、国に認定付与された国家資格もない。教育者は一個の独立した学者であり、学問の価値や程度は教育を通じて、門弟となる生徒を通じて評価される。評判の悪い私塾には人は集まらないのだ。私塾で学問を教える松阪慶子は、町人の身分でありながら、寺田農が演ずる大名から厚遇を受け、藩邸に自由に出入りして藩主に講義をしたりしている。学問において身分の差などないのだ。

龍馬伝_6荻生徂徠もそうだった。本居宣長もそうだった。 自然科学の伊能忠敬も村田蔵六もそうだ。江戸期の学問の世界には身分は全く関係ない。岩波書店などというブランド出版社もなかった。その個人の学問の中身が問題なのであり、師匠と弟子が大事なのであり、人を育てて方法を継承する塾と道場が大事なのだ。明治国家の国民教育は立派だと思うが、その教育の実質を支えたのは、本当は江戸期の学問のあり方だったのではないかと思われてならない。その美実が次第に失われ、学者が学者でなくなり、アカデミー官僚とアカデミータレントとアカデミーサラリーマンになり、高校以下の教師の世界も官僚とサラリーマンの世界になった。そういう範疇は江戸期の教育機関には存在しない。荻生徂徠や本居宣長のように学問をしている人間がいない。白川静のような学者がいない。司馬遼太郎が、「われわれ現代人の故郷は江戸時代ですね」と言っていて、それは20年以上前の話だったが、この20年の間に、日本人はすっかり故郷を失ってしまったような感覚がする。故郷を壊して、見捨てて、引き返せないほど遠くへ来てしまったのではないか。江戸期の学問は、剣の道場もそうだが、学問や技術を身につけたり極めたりすることが、同時に人の道を身につけたりすることと重なっていた。精神修養と人格形成が目標としてあり、教育者は聖人でなければならなかった。松蔭的な人間類型が前提としてあった。アカデミーで蔓延した脱構築主義は、そういう思想や伝統を無意味だとして排斥したが、果たしてそれでよかったのだろうか。第七話から、また土佐が舞台に戻る。河田小龍の出番になる。

ドラマでは容堂を68歳の近藤正臣が演じている。安定感はあるが、これには些か面食らった。嘉永7年の時点で容堂は27歳である。青年大名であり、龍馬と8歳しか年が離れていないし、半平太とはわずか2歳の差なのだが、白髪姿のお殿様になって出ている。東洋も白髪の老人だが、このとき、実際にはまだ38歳である。 

龍馬伝_z

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

No title

千葉道場が近代教育に果たした影響と剣術の形骸化という議論がありますが、私はこちらで時代考証のお話を読み、山田洋次が『隠し剣鬼の爪』で拘って描写していたような、いわゆる「ナンバ歩き」、近代の軍事教練による軍隊行進以前の日本人は交互に手足を出して歩けない、走れないという話で、本当かどうかわからんのですが、他の映画やドラマでは追随する描写は無く、この龍馬伝もそうでした。

慚愧

真実を述べる。事実を描写する。史実を明らかにする。事象の絡繰りを提示する。

この自主言論ブログこそ、松陰先生以下の幕末の有志たちが読んだらどう思うでしょうか。

筆者さまの中にある少年のような愛民の心。

150年後の青年たちは、今の時代の私たちをどう活字表現するのでしょうか。

『果たして活字化に叶い得る、これからの自身の生であるのだろうか…』

これが、私の龍馬伝「第6話」での私自身への心象です。

「咲くやこの花」。
私も欠かさずに拝見しておりますが、圧巻は、あの時代の文化の豊かさと庶民との位置関係、そして師弟関係の常態化であり、倦怠は自身を含めた今の時代とこの国の社会風景です。日本の豊かな文化を磨滅させてしまったのは私たち自身。この慚愧の中で紡ぐ、私たちのこれからの生。

その処方は、いったいどこにあるのか…。師匠に足る人物を私たちはどう求め、どう繋がっていったらよいのか。どこにそのチャンスがあるのか。

前回の放映。主人公「おこいちゃん」に、好きなセリフを一つ見つけました。

『できません。私だって(百人一首を)命掛けで闘っているんです。勝負を捨てることは、命を捨てることと同じです。そんなことをして

さむらいと詩人の魂

 4-5年前、はじめてこのブログ「世に倦む日日」をみたときに、このタイトルが小説「世に棲む日日」を文字ったものだと歴然としていましたが、筆者のこの人物への思い入れは、日日更新されることばの端々から伝わってきつづけています。おなじ筆者の「世に棲む日日」と吉田松蔭」
http://www.geocities.jp/pilgrim_reader/hero/choshu_1.html と題された一文を未読の方は、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 そのなかにも書かれていますが、おなじく夭逝した正岡子規に対して司馬遼太郎が暖かく贈る言葉が引用されています。すなわち、どんなに短い人生であっても、人の一生には必ず春夏秋冬の四季があり、人生は起承転結を持った一編の詩として完結しているのだという諦観である。それは逆に、主張として受け止めれば、男子の生は、起承転結の四句で表現された詩であらねばならず、生で詩を織る美学を持たぬ男の人生は、失格であり失敗であるという緊張感として伝わってくる。
 この革命の第一世代を代表する人物は、詩人の激情をもち、自らの死をもってそのイデオロギーを世界にふりまき、死後の明治維新を達成させました。

 かれの評価は、いまだに実にさまざまですが、その内部の研ぎすまされた「さむらいと詩人の魂」があったから、いまの日本がある、と言いきってもよいと思います。
そしてかれや龍馬があこがれて行けなかったアメリカという国の中心に居座り、「世に棲む」こともままならぬ日日をくり返している僕には、実に耳の痛い名前でもあります。
松蔭が渡米を企てて失敗したあと、いまからちょうど150年前、幕府の「遣米使節団」がブロードウエイを行進したそうです。異常にかけ離れてしまった西欧文化と遭遇し、団員のなかのさむらいの魂は動揺し、一刻も早い近代国家への登り口を渇望したに相違ありません。

 それから150年、政治をめぐる贈収賄がくり返され、日本はある意味でいまだに近代国家とは言えない状態にとどまっています。このブログでも、いまは検察の暴走を批判されていますが、すぐに鉾先は対抗する幹事長や首相のほうに戻るでしょう。十年一日のごとくくり返される権力の闇。もちろん僕の棲むこの超大国にはもっと大きな闇が渦巻いているのでしょうが、民のための平らな美しい国を夢みていた松蔭や龍馬は、いまだに「さむらいと詩人の魂」を抱きつつ、泣いているにちがいありません。 NY金魚

つづき

(切れたコメントのつづきです)

前回の放映。主人公「おこいちゃん」に、好きなセリフを一つ見つけました。

『できません。私だって(百人一首を)命掛けで闘っているんです。勝負を捨てることは、命を捨てることと同じです。そんなことをして、この先を生きていくことはできません』。

これを堂々と大人を相手に語る10代の市井の女性が、今この国にはどのくらいいらっしゃるのでしょうか…。

さむらいと詩人の魂 つづき

 「世に倦む日日」のこの記事と、上のトリニティーさんのコメントにも出てくるNHK「咲くやこの花」という番組をDVDで観ました。なんと百人一首のお話なんですね。
恥ずかしいのですが当方ブログ「NY金魚」でもまねごとの和歌を詠ってみました。http://nyckingyo.exblog.jp/10730979/ ご笑覧ください。

 きっかけはアメリカ人を交えた新年会に百人一首が置いてあって、日本語のわかるひとが少なく、かるた遊びは無理なので、「ボウズめくり」というものをしようと提案しました。日本語のわかる人がボウズをめくったとき、気に入った歌を英語に翻訳する、という罰ゲームをつけましたが、驚いたのはその気になればみんなが、ラテン語のような古代語を結構上手に英訳できてしまうのです。訳されたのはほとんどが恋歌で、密やかな想いを詠ったものですが、自分の心情をかぶせて語るひとも出て大笑い。文字がわかればだれでもが表現できる簡単なアートとして、ずっと日本人の身近にあった実にすばらしい形式だと思い直しました。先日仲間うちでの「江戸しぐさ」についてのディスカッションに参加しましたが、江戸期にはそういった個人の小さな表現が自由にできた、その発露によって他者の信頼関係も強くできていった、ということでしょう。松蔭ほどの厳しさはなくても、歌を詠もうとすることが、不思議にそのリズムに導かれて、こころを慄然とさせるものです。
僕のようにへたくそでも、くだらないと思っても、みんなが和歌を詠む心意気だと思います。トリニティーさんは嘆いておられましたが、これからはこの主人公おこいちゃんのような慄然とした若者が、現代にも続々現れる予感がしています。 NY金魚

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
プロフィール

世に倦む日日

Author:世に倦む日日
(世に倦む日日FC2版)

最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
access countベキコ
since 2004.9.1












RSSリンクの表示
アクセス数とメール
エキサイト版に避難中です。
FC2のふざけた釈明

access countベキコ
since 2004.9.1


  
ご意見・ご感想

Twitter
Google 検索ランキング
下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます


竜馬がゆく
花神
世に棲む日日
翔ぶが如く
燃えよ剣
王城の護衛者
この国のかたち
源氏物語黄金絵巻
セーフティネット・クライシス
本田由紀
竹中平蔵
皇太子
江川紹子
G20サミット
新ブレトンウッズ
スティグリッツ
田中宇
金子勝
吉川洋
岩井克人
神野直彦
吉川元忠
三部会
テニスコートの誓い
影の銀行システム
マネー敗戦
八重洲書房
湯浅誠
加藤智大
八王子通り魔事件
ワーキングプアⅢ
反貧困フェスタ2008
サーカシビリ
衛藤征士郎
青山繁晴
張景子
朱建栄
田中優子
三田村雅子
小熊英二
小尻記者
本村洋
安田好弘
足立修一
人権派弁護士
道義的責任
古館伊知郎
国谷裕子
田勢康弘
田岡俊次
佐古忠彦
末延吉正
村上世彰
カーボンチャンス
舩渡健
秋山直紀
宮崎元伸
守屋武昌
苅田港毒ガス弾
浜四津代表代行
ガソリン国会
大田弘子
山本有二
永岡洋治
平沢勝栄
偽メール事件
玄葉光一郎
野田佳彦
馬渕澄夫
江田五月
宮内義彦
蓮池薫
横田滋
横田早紀江
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
渓内譲
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
アテネ民主政治
可能性の芸術
理念型
ボナパルティズム
オポチュニズム
エバンジェリズム
鎮護国家
B層
安晋会
護憲派
創共協定
二段階革命論
小泉劇場
政治改革
二大政党制
大連立協議
全野党共闘
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
レイテ決戦
日中共同声明
中曽根書簡
小平
国民の歴史
網野史学
女系天皇
呪術の園
執拗低音
政事の構造
悔恨共同体
政治思想史
日本政治思想史研究
民主主義の永久革命
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
価値形態
ヴェラ・ザスーリッチ
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
奈良紀行
菜の花忌
アフターダーク
イエリネク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
岡崎栄
悲しみのアンジー
愛は傷つきやすく
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
ネット市民社会
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。