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中谷巌『資本主義はなぜ自壊したのか』を読む (1) - 懺悔と学歴

中谷巌(1)_1aどの本屋に行っても、中谷巌の本が最も売れる場所に平積みされている。昨年末の12/20に出版され、まだ1か月しか経ってないが、すでに10万部が売れ、売れ行きはさらに増す勢いにある。今夜のNHKの NEWSWATCH9 に出演が予定されていて、懺悔を始めてから初のテレビ出演の機会となった。遠からずサンデープロジェクトにも顔を出すことだろう。世間注目の旬の人であり、一気にマスコミで引っ張りだこされる存在になった。昨年末に週刊現代に衝撃の転向と懺悔の記事が出て注目を集め、それから東京新聞や東洋経済など多くの新聞や雑誌に登場して、竹中平蔵に先行して構造改革を扇動したことの過誤を自己批判してきた。それらの記事がネット上にも多く紹介されていて、どれを読んでも同じ内容が書かれている。実は、本にも新聞や雑誌に出ている内容と全く同じことが書かれていた。読後の率直な感想として、情報の中身という面では、わざわざ本を買ってまで読む必要はないように思われる。だが、中谷巌の「懺悔」は政治的にきわめて重要な問題だ。   

中谷巌(1)_2今後、支配層の側は中谷巌をテレビに頻繁に出し、徐々に生の言葉でその転向の意味を希釈させ、「改革」批判の舌鋒を曖昧にさせて行き、引き換えに政治番組のコメンテーターの地位を与えるのではないかと予想される。本を買って読んでいる人々の心理や動機を想像すると、これまで新自由主義の考え方を常識として受け止め、自己の行動や判断の前提にしてきた人たちが、時代の変化を知り、自分の中で芽生えた「転向」の意識に言葉を与え、自分を含めた時代全体の「転向」に備えるべく、心の準備のために役立てようとしているように窺われる。時代の支配的な価値観が動き始めたことを知り、乗り遅れないようにする思想マニュアルなのだ。この本を読んで気づいたことは、かなり直截的な表現で新自由主義が批判されている点で、例えば「新自由主義者」などという言葉が頻繁に出てくる。「新自由主義者」という言葉を使いながら新自由主義を批判していた人間は、活字の世界ではほとんどいなかった。別に自分の宣伝をするつもりはないが、4年前にそれをやっていたのはネットの中の人間だけで、特に誰かを思い浮かべることができない。

中谷巌(1)_3論者による新自由主義に対する批判の程度を測る尺度として、一つは、臆せず「新自由主義者」という言葉を使うかどうかがある。これは、新自由主義者というイデオロギー的な実在があり、彼らがイデオロギーに即して社会の制度を作り変えてきたという事実認識を持つことを意味し、格差や貧困の新自由主義的な現実が自然発生的に出現したのではなく、構想を持った人の手で目的意識的に構築されたのだという社会認識に繋がる。新自由主義に対する批判を徹底できない立場の者は、新自由主義者の実在を確信できない者であり、無意識的にも「新自由主義者」という用語の使用を躊躇して回避しようとする。もう一つの尺度は、批判の対象を「新自由主義」の言葉で直截的に言い表すかどうかという態度の問題がある。例えば、加藤紘一などが典型的だが、文章の中では新自由主義が悪いという書き方をして、新自由主義を批判対象に措定する。だがテレビに出演したときは、「新自由主義」とは言わずに「市場原理主義」と言い換える。「新自由主義」という言葉を使うのを慎重に避けている。「新自由主義」と「市場原理主義」は似ているが同じものではない。意味もニュアンスも異なる。

中谷巌(1)_4本人がどこまで自覚しているかは別として、この巧妙な使い分けに加藤紘一の政治家としての賢さと狡さがある。批判の鉾先が「新自由主義」だと、論理的には明解にはなるが、批判が過激な印象になるのであり、それを「市場原理主義」に置き換えると、論理的には曖昧になるが、批判としてはマイルドな効果に薄まるのである。テレビという大衆メディアでは、政治家はなるべく印象をマイルドに配慮する必要があるし、保守政治家である加藤紘一は保守層の視聴者に支持されなければならない。だから、記事の活字では「新自由主義」と言い、テレビの言葉では「市場原理主義」と言う。竹中平蔵がテレビで誰かに批判される場面を見ても感づくと思うが、「市場原理主義」の言葉で批判されているときは、打撃を感じずに反駁の詭弁を滑らかに繰り出す。だが、「新自由主義」の言葉で直截的に責められたときは、狼狽して卓袱台をひっくり返す挙に出る。心理的に痛撃が効いているのである。「市場原理主義」よりも「新自由主義」がイデオロギー的に尖鋭でストレートな表現なのだ。より濃厚で過激なイデオロギー性が露出するのである。正確な類似例ではないが、「社会主義」と「共産主義」のようなものだと考えていい。

中谷巌(1)_5前置きが長くなったが、中谷巌の本の意味は新自由主義者の転向と元「改革者」による「改革」批判にあり、この議論がどこまでマスコミで徹底するかで今後の日本の政治に大きな影響が出る。本を読んで率直に感じたことを言うと、この人は本当に経済学者なのだろうかという感想と、ハーバード大学の博士課程で猛烈にアメリカ近代経済学を勉強したと言うが、果たして本当に猛勉して学問を修めたのだろうかという疑問だった。文章に学者らしさがないのだ。一般の評論家の文章としては分かりやすいし読みやすいが、経済学者の知性やセンスが感じられないのである。それは、中谷巌が転向前の10年前にテレビに出て喋っていたときも同じだった。学者らしくなく、議論に学問的な品格や品性がない。転向についても、経済学の理論と社会の現実の矛盾の中で葛藤を生じさせているのではなく、きわめて外的な要因で転向が動機づけられている印象を受ける。眼前の経済社会を(肯定的にせよ否定的にせよ)語るときに、彼の学問の言語である米国経済学の概念を使った説明が出て来ない。それは何故なのだろうという疑念が浮かび、本を読みながらあれこれ考えたが、思い至ったのは中谷巌の学歴の問題だった。中谷巌は、自ら言っているように、大学の学部で勉強をしていない。

中谷巌(1)_6大学の学部を出て、そのまま社会人になり、日産の会社勤めが嫌になって米国に留学し、そこで博士号を取り、一橋大学に戻って経済学者になるのだが、中谷巌は日本の経済学というものを全く勉強していないのだ。中谷巌が米国に留学して、米国の大学や家庭の豊かさに圧倒され、すっかり「アメリカかぶれ」して、米国近代経済学の論理体系の虜になったという話は、雑誌や新聞の記事にも何度も告白されている。そして本の中では、それとは対照的な日本の学問世界の閉鎖性に対する反感が語られ、日本の経済学世界が中谷巌の目から見て、きわめて貧相で魅力がなかったことが指摘されている。だが、ここにはどうも嘘がある。中谷巌が自ら自己の真実から目を遠ざけている自己欺瞞がある。その当時、中谷巌が学生生活を送っていた1960年代は、日本の経済学はきわめてレベルが高く、碩学の経済学者が何人もいて、まさに日本は経済学の国だった。近代経済学でも、マルクス経済学でも、その二者に収斂されないところでも、優秀な経済学者は多くいて、決して学問的水準において米国の経済学世界に劣っていたなどとは言えないのである。日本の経済学があったから、世界が驚く日本経済の産業競争力があり、日本のMITIがありMOFがあった。産業界と官僚界に人材を送っていたのは日本の経済学であり、宮崎義一であり、宇沢弘文であり、飯田経夫であり、伊東光晴だった。

中谷巌(1)_7そしてその基本には、大塚久雄がいる。獄死した河上肇がいる。1960年代の頃、日本で経済学を勉強していた学生たちは、決して原論(ミクロ・マクロ/価値論・再生産論)や専門の経済学理論だけをやっていたのではなく、まず社会科学の基礎を教官から叩き込まれたはずで、それはマルクスとウェーバーであり、丸山真男と大塚久雄だったはずである。教養と言うよりも社会科学の基礎と言うべきだろうが、基礎がしっかり踏み固められていたから、日本の経済学は学者も学生も水準が高かったのだ。それは米国の経済学世界にはないものである。中谷巌は、われわれも学部で身に付けたその基礎が全く身に付いていない。自分で言っているとおり、彼は日本では勉強をしておらず、本来なら日本の学者が身に付けているはずの基礎的な知識や教養を修得していない。彼はそれを多摩大学に引っ込んだ後から、小渕内閣の「経済戦略会議」で改革論者として活躍した後から、初めて接して学ぶのである。中谷巌に一般教養を教えたのは、本の「まえがき」に名前が出てくるが、野中郁次郎、松岡正剛、山内昌之、中西輝政、川勝平太、小室直樹、山折哲雄などの面々である。本の中に、アダムスミスの近代的人間観に対する懐疑やポランニーの資本主義論や一神教批判視点からの米国論が出てくる。これらは、後から、多摩大学での「講座」時代に講師として呼んだ面々から教えてもらった知識だ。

中谷巌(1)_8だから、大雑把に言うと、この本の後半の議論は、「正論」や「諸君」などに登場する日本の保守論者が、米国の新自由主義経済とイデオロギーを批判する際の常套句が並ぶ格好になっている。小室直樹や山折哲雄が書きそうな一般論で埋められている。その意味で、中谷巌の転向というのは、ある意味で日本の保守論客たちの一般論調の代弁だと言うことができるのかも知れない。彼らが正面きって言わない「転向」を、中谷巌が代表して言っているようにも思えてくる。そうしなければ、新自由主義を否定しなければ、彼ら保守論客は知識人として今後も論壇で生き続けることができないだろう。そうであれば、日本の保守論壇も新自由主義をめぐっては二つに分裂することになる。池田信夫や財部誠一や勝谷誠彦や長谷川慶太郎など、売名売文のためなら何でもする獰猛な異端組は、ネオリベ徹底擁護に回って派遣切りを正当化する最後の抵抗の論陣を張り、中西輝政や川勝平太や山崎正和などの保守本流組は、表面上は反新自由主義の空気を浮上させる態度に出て、反新自由主義を左翼に独占させないように世論のシェアに割り込む動きをするだろう。ハイエクを宣伝した渡部昇一はどう出るだろうか。中谷巌の今後を注視したいが、できればテレビの論戦で、経団連側の派遣切りを正当化したり派遣法改正反対を言う論者たちを真っ向から批判する論客として立ち現れて欲しいと思う。転向が本物であることを期待したい。

野中郁次郎は一橋人脈で、松岡正剛は昔のバブル時代のNTT出版の「情報」脱構築シリーズでの野中郁次郎の人脈である。切れずに連綿と続いている。脱構築保守。野中郁次郎、恐るべし。

中谷巌(1)_Z
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No title

勝谷氏も以前は新自由主義に批判的じゃ無かったですか、それがいつの間にか擁護するようになってしまいましたね。
マスコミで飯を食ってる内に取り込まれましたかね。
そう言えば、議員になる前の舛添氏も新自由主義には批判的でしたが国会議員になって閣僚になった途端に擁護に回りましたね。
最近では少し批判的になってるようですが。
フランスのフィガロ紙はケインズを時の人として大々的に取り上げたそうですが、日本のマスメディアは相変わらず新自由主義の論調が優勢ですよね。

No title

>勝谷氏も以前は新自由主義に批判的じゃ
>無かったですか、それがいつの間にか
>擁護するようになってしまいましたね。

そんなことないですよ。氏の有料メールを購読してますが新自由主義に対して辛辣な意見を述べておられます。

サブプライム効果

中谷本は、未読。伊東光晴の書評を読みました@毎日新聞
http://mainichi.jp/enta/book/news/20090208ddm015070003000c.html
中谷巌が学んだはずのMITサムエルソンもケインズを棄てた、との証言by都留重人、を紹介している。

昨晩、TBSのバトルトークで、中谷巌が田中康夫と対談。ベーシックインカム論、派遣法ケシカラン(同一労働、同一賃金)、大店法けしからん。。と述べていた。文春3月号では、「竹中平蔵君、僕は真違っていた」の記事を。

サブプライム問題~金融破綻の混乱に乗じた、宗旨替え。機を見るに便。

転んでも
ただでは起きない
学者かな

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