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京都de道草 - 三千院の思想史、浄土信仰と念仏聖、天台の聖と俗

三千院_1三千院のリフレットには次のような説明書きがある。「大原の地は千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。創建は傳教大師最澄上人が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まります。別名、梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡です」。以上、簡単だが、三千院の歴史を概説するキーワードが並び、三千院とは何かをよく説明した案内文になっている。天台宗の寺院なのに、なぜ境内の中心に阿弥陀堂があり、巨大な阿弥陀如来が本尊のように鎮座しているのか、その理由は寺の成り立ちにあった。この寺は念仏聖の寺として出発していて、平安末期の末法思想と浄土信仰の流行に本来の起源がある。平安仏教と鎌倉仏教をブリッジする浄土信仰と念仏聖、どうやらそこに大原と三千院の思想史上の原点があった。だから、リフレットの説明でも、最初に「念仏聖による浄土信仰の聖地」という言葉が出る。これが第一であり、最澄の草庵という由緒は第二の要件になるのである。リフレットの説明には、「往生要集」を書いた天台僧の源信が往生極楽院を建立したのが寺伝だとある。12世紀の建造物である極楽院を10世紀の人である源信が建てられるはずがないが、天台宗から浄土教を媒介するこの僧の名前が出ることで、三千院の歴史的性格がよりわかりやすく訴えられる形式になっている。  

続きの内容をレジまぐ版に公開しました。コメントはこちらの方にお願いします。

三千院_z
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こころのなかの日本

 二回にわたる京都紀行(もっと続けてほしい気分ですが)は、長年海外に住んで、そうそう頻繁には帰れない身には、まさに涎の出る思いです。関西で生まれ育ち、学生時代を京都で過ごしたのですが、今や遠き夢。二年まえに一泊しただけの京都の印象が瞼の奥にこびりついたまま、それを生き甲斐に暮らしている気分です。かく言うように海外から観た日本と言えば、京都。その日本の代表イメージが他の日本の都市に住む日本人のこころの故郷として、うまく機能していますね。言い方を変えれば、京都に行かなければそういった日本人の魂の故郷には簡単に出会えない日本になってしまった、ということもできます。僕のようにアメリカにいても、たとえば東京圏にいても、意識のうえでそういった日本を感じることは極端に少ない、という意味では同じかも知れません。

>日本人の寺社への訪問が、観光的動機から信仰的動機を深めつつある時代。

そしてこれほど、仏教、禅、東洋思想に憑かれたように追いかけているいまの自分が、もし京都に帰って住むようなことがあれば、そのままそれらの思想を続行していけるかどうかも疑問視しています。京都での四年の学生生活が、いちばん京都から遠かった、という逆説も考えてしまいます。住む場所というのはそんなものかも知れません。
少しお近づきになったドナルド・キーン氏はいよいよ半年ごとのNY生活を離れ、日本に永住帰国されるそうです。魂のなかに日本や京都が強くあるひとが多く住みはじめれば、日本は本来の歴史を踏まえた、われわれの「こころのなかの日本」に、すこしづつ戻っていくのかもしれません。 NY金魚

No title

わたしは学生の頃は京都の街や寺社建築や庭園を毎週のように回っていましたが、しかしむしろそこから学ぶことは、外(主に外国からの)の視点を意識した有名地のシンボル的な
側面と、日本というイメージがそこに「中央集権化」するように集中してしまう(京都以外の人々にもそれが内面化され、日本の心象風景として機能してしまう)、そういった近代的な国家像とも関係する視点から離れて、むしろ京都の街中に数々と散らばっている決して一つの全体性に統合することが出来ない相互の異なる無数の美しさ、そのエッセンスこそ、京都以外の日本の各地の街なかでも注意すると、それと等しいエッセンスや美しさを見つけることに、むしろ京都の街は気付かせてくれたことでしょうか。それが京都のもつ普遍性(その美しさのエッセンスは京都以外の場所とも共鳴するがゆえの)ではないでしょうか。

つい先日訪れた東京の谷中の本当に小さくて細い路地(ひと一人がやっと通れるような)の廃れた町屋の庭隅に、木造りの塀で囲われた中から上半身だけを覗かせるように小さな紅葉した、しかし老木のモミジが、誰に見せるわけでもなく、廃れた町屋の深い黒の色彩をと路地裏でひっそりと共鳴しあって色づいているのをみました。まるで近代的な国家像や、それに伴う「日本正しい伝統」などに縛られることない無数の小さな「弱者達」のような美しさ。国家の近代化に伴う京都のシンボル化の影には、そのような美しさが日常の風景にも気付けばたくさん散らばっている、感じられるような気もいたします。国民のための政治が、少しでもそのようなものに気付いていくことが出来る、近づいていくことが出来ることを期待しております。
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