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加藤和彦の死を悼む (2) - 「イムジン河」、北山修との最後の晩餐

加藤和彦_2_1記憶が定かではないが、15年ほど前、テレビ東京で「イムジン河」の誕生秘話を案内する特集番組があった。その番組には松山猛本人が出演していて、後の映画『パッチギ』のモチーフになるエピソードがそのままドキュメンタリーとして放送されていた。エピソードの概略は、われわれの世代には伝説として脳裏に刻まれているもので、ラジオの深夜放送で聞き囓った話だとか、それを聞いた者の口コミとか、政治に詳しい級友の解説とか蘊蓄とかで、中学や高校の時期に情報として広まっていたものだったが、実際に松山猛の口から事情が説明されるのを聴くのは初めてのことだった。あのとき、確か、撮影は鴨川をバックにした場所だった。松山猛が、横に置いた「イムジン河」の2番の歌詞のフリップボードを眺めつつ、北朝鮮からのクレームの内容の紹介と共に、「僕には、やはり、この詞にするのが一番いいと思ったんですよね」と語ったのを覚えている。深く考え込みながら、静かにそう結論を言い置いた。カメラがアップで捉えていたボードの歌詞は、「誰が祖国を二つに分けてしまったの」の部分で、この言葉が朴世永の原詩になく、意味が異なるので認められないと北朝鮮(朝鮮総連)は拒絶していた。原詩に忠実に訳詞せよという要求だった。原詩の趣旨は、プロパガンダ色が濃厚で、北側の視線から発信された政治詩であり、松山猛の詞は南北分断の民族の悲劇を一人の人間がフラットに嘆くものだった。  

続きの内容をレジまぐ版に公開しました。コメントはこちらの方にお願いします。
加藤和彦_2_z0



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芸術家の自殺

何か、桂枝雀さんの時を思い出しました。
憶測でものを言ってはいけないのかも知れませんが、自分の納得のいくパフォーマンスが出せなくなった時、スポーツ選手なら、「引退」という選択があります。しかし、芸術家にはそれがない。天才と呼ばれた人や理想の高い人ほど、このような悲劇になるのかも知れません。

それにしても、枝雀さんの時もそうでしたが、事前にうつ病とわかっていたのなら、もっとなんとかならなかったのでしょうか。
日本の精神医療の無力さというか、無能さというか、そういうものを感じざるを得ません。
薬物療法だけでは救えないでしょう。

僣越ながら本日の記事、ただ圧巻と評させてください。鮮やかな欝制圧への道筋。

筆者さまがおっしゃる通り、私自身の環境に於ても心労やストレス、過労から欝を患った知人は数多く、それは癌闘病や事故で亡くなる頻度よりも多いと感じています。

実は加藤氏とは結婚式の席上で一度だけお見掛けしたことがあります。以来J-WAVEでのパーソナリティーに親近感がありましたが、一番の魅力はその言葉の柔らかさや品の良さ、知的で暖かな空気感にあったように思います。

筆者さまの「パッチギ」評は誠に秀逸。スタッフを“フルボッコ”にしてまで「イムジン河」をオンエアさせた大友康平さんの役どころが史実であるならば、私の中でのあの映画の価値は再燃せざるを得ません。

人一人を追悼することの重みを本日の記事に再認識させていただいたことに深く感謝しております。

悲しくてやりきれない

加藤和彦さんの自殺が残念で仕方がない。

典型的な更年期鬱病だろう。
この危機を乗り越えれば、まだまだ活躍できたはずだ。
自殺を試みて失敗して、普通の生活を取り戻した人はたくさんいる。
それで死んでしまうか、生き残るかは、天と地ほどの違いがある。

鬱病は時間をかければ必ず治る。時間との戦いだ。
待てなかったばかりに取り返しのつかないことになった。

歌は遊びだ。遊べなくなったと言って、死ぬのはおかしい。
もっと音楽を気楽に考えてくれていたら。

北山修さんは精神科医である。友人が自殺したことに、すごくショックを受けておられるでしょう。なぜ救えなかったのか。自分の医学は一体何だったのか?
ショックのあまり言えないのだと思う。
「音楽に対する厳しさが、自分に向いたのかも知れない」という意味のことを言っていたけど、そんなコメントでは満足できない。
身近な人を救えないで、なにが医者だと言う声が聞こえてくる。

作詞家としての北山修という名前は残るだろう。
しかし、精神科の医者としてやっていくなら、加藤和彦さんの死は、北山修さんがこれから先、一生背負い続けなければならない原罪のようなものだと思う。


医者でかつ文学者と言うことで思い浮かぶのが森鴎外である。
森鴎外の文学者としての偉大さは誰もが認めるところである。

しかし、ご存じの方も多いと思いますが、医者としての資質は二流だった。その結果、北里柴三郎に負けた。

森鴎外は陸軍の医者でそのトップにまで上り詰めた。
しかし、当時、陸軍の兵士の間に蔓延していた脚気の原因を、細菌と決めつけ、経験的に麦飯やパンが脚気の予防となることがわかっていたにもかかわらず、それを無視し、兵士に白米を食べさせ続け脚気を蔓延させ、多くの兵士の命を奪った。
死ぬまで脚気細菌説を曲げず、北里柴三郎が脚気は細菌が原因ではないと主張し、コッホがそれを証明して、この論争は決着した。森鴎外は敗れ、北里柴三郎は医者として、細菌学の権威として、名前が残り、森鴎外の名前は医学界からは消えたのである。

医者としての資質は感情に流されす、事実を見極める目を持ち、冷静な思考判断である。
文学に必要な資質は感情であり、直感であり、美的なセンスであろう。
相反する資質を同時に持つことは難しいのか、天は二物を与えずと、よく言う。
文学は遊びである。しかし、医学は遊びではない。

鬱病はひどくなると何もしなくなるから、自殺を決行したということは、そんなにひどくないか、治りかけていた時か、どちらかだと思う。詳しいことは知らないが、鬱病の治療を受けていたのか、いなかったのか。側にいる人は誰もその予兆を感じなかったのか?
気分が上向いたら、それを待っていてくれたら、再び活躍できたのに、残念で仕方ない。

加藤和彦さん、楽しい音楽をありがとうございました。
加藤さん、「悲しくてやりきれない」の歌が聞こえてきますよ。

なかにし礼の故人批判

興味深い動画を見つけました。
加藤さんのうつ病や孤独はここが原点なのでは??

なかにし礼 加藤和彦の追悼中に故人を批判
http://www.youtube.com/watch?v=4K_3yFZlCSA&feature=related

19日の北海道新聞夕刊より北山修のコメント

19日の北海道新聞夕刊より北山修のコメント
http://www1.uploda.tv/v/uptv0049260.jpg

主治医ではないのですから。

加藤さんがうつ病を患っておられたと伝えられています。遺書らしきお手紙の一部を仄聞する
限りにおいても、自己否定の意識、自責の念が強く、納得はできます。

他方北山さんは40年以上の盟友であり、精神科医だったのなら、加藤さんの異変に気づくべきだし、
加藤さんの死の意味を考え、うつ病について論ずるべきだというお考えは、一理あります。

しかし北山さんは主治医でしたか。違うでしょう。知人を推薦したかもしれませんが、主治医とは、
必要なら定期的に、病者・患者として相手を見て、病の状態をもっぱら判断し、方策を考えます。
しかしそういう条件にないなら、主治医たりえません。もし私が医者で、親友に病者がいたとしても、
主治医と患者関係になく、時々相談にのるだけなら、正確な状況はわかりません。むしろ
健康なときの、友人としてのイメージに影響されて、正しい判断を曇らされることがあります。

よく事件がおきたときに、心理分析を精神科医や心理学者が求められますが、サービスとして
彼らが答えたとしても、ラフなスケッチにしかなりえません。まして主治医をさしおいて、
故人のことを医学的にあれこれ書いていいわけではありません。

それから、北山(きたやま)さんの肩書きが、「精神科医・作詞家」とあります。確かに精神科医
ですし、その肩書きを否定されませんが、より正しくは「精神分析家」だと思います。では、
精神科医と精神分析家とはどう違うか、難しいところですが、うつ病論という演繹的な著述を
かけるのは精神科医、ないし精神医学者で、精神分析家は、もっと個別的な状況にこだわります。
そこから普遍を導き出せるかもしれませんが、北山さんが加藤さんの精神分析(面接)関係を、
もたれていないなら、あるいは過去にあったとしても、最近表面的な会話しかされていなかったら、
いくら親友であってもわからないことがあるし、評論程度になってもおかしくありません。

しかし北山さんは大学教授、すなわち学者たらんとされている方です。加藤さんの生と死は、多くの
人に時代の象徴として考えられています。その生と死の全貌を文章で書ける人は、北山さんを
おいていません。ですから、学者としての北山さんに、加藤さんとその時代を考えて書いてほしい
とは、私も思います。

あの新聞記事に落胆された気持ちは私も同感です。しかし今回、丸山真男のノーマンへの
追悼文を探して読んでみましたが、論理的でいい文章だとは思いますが、歴史に残るというのは、
丸山好きなブログ主のほめすぎに感じます。

学者が追悼文を書くならまず、故人の仕事の意味を論理的に書く、エッセンスを書くこと、
次に自分が相手と関わって見た、故人の人物ををもっとも象徴的にあらわすエピソードを書くこと、
ついで、これから故人の社会の中での位置づけ、どんな影響を今後も及ぼすだろうかと書き、
最後に自分ひとりの思いをもう一度書く、こうした作業が必要ではないかと思います。

加藤さんについて、北山さんがこれからさらに書かれることを私も願っています。











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