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映画『チェ28歳の革命』 - 配役の失敗、物語の不在、説明の欠如

ゲバラ_1テレビで多く取り上げられているので、映画『チェ28歳の革命』を見てきた。一言で言って、映画はヘボなのに、やたらに宣伝ばかり多く、「ゲバラ・インダストリー」、あるいは「ゲバラ資本主義」とでも言うような奇妙な現象が回っている。不快な感じを否めない。映画としては駄作であり失敗作である。この映画は、次に控えている『チェ39歳の手紙』に観客を誘導するための予告編でしかなく、本来なら二作に分けて商品にして興行するのは詐欺に等しい行為と言える。それだけ中身がなく物語がなく感動のない不完全な映画であり、どうしても二つに分割して公開しなければならないのなら、一作分は通常の料金の半額で切符を販売するべき映画だった。正直なところ、巧く騙されてボラれたという印象が強い。まだ見てない人のために忠告すれば、この映画はDVDをレンタルして見るべきで、映画館へ足を運んで見るべき作品ではない。大型スクリーンで見る映像の迫力や醍醐味も特になかった。脚本も映像もよくない。ドラマ性もなく、時代や歴史の説明もできていない。  

ゲバラ_2ゲバラの人物像を浮び上がらせることにも成功していない。まず、基本的に、主演のベニチオ・デル・トロよりも、写真で見る本物のゲバラの方がずっとチャーミングでナイスガイであり、最初から顔で負けている。これだけで興趣が殺がれ、映画に入り込む気分が萎えていまう。ゲバラ役以上に酷かったのはカストロ役のデミアン・ビチルで、顔が全然似ていない。雰囲気も全く出ていない。この違和感が冒頭から大きな不満として残り、その不満が解消されないままラストまで至る。スペイン語という言葉の問題があったからかも知れないが、キャスティングに不具合のある映画であり、2人の個性やカリスマ性が全く描き出されていない映像だった。映画を見終わった後で思ったことは、監督や男優たちのイマジネーションの不足ということもあったが、それ以上に、結局、ゲバラやカストロは映画や小説の登場人物よりもはるかに大型のスケールのキャラクターであり、彼らがやったことも、商業目的の映画作品に収まるような小さなドラマではなかったということである。率直に言って、この映画を見てもゲバラとカストロがどういう人物であったかは満足に掴めない。

ゲバラ_3ゲバラとカストロがどういう人物であったかは、この2時間を越える長い映画を見るよりも、近藤彰利が2人を撮影した写真を見る方がよほど説得的に伝わってくるし、2人の人間的魅力とキューバ革命を世界によく伝えている。1/23の報道ステーションでも、ゲバラとカストロの2人が対話をしている現場の写真が何枚か紹介されたが、あの数枚の写真こそが全ての真実を映し出している。近藤彰利が撮ったゲバラとカストロの写真は本当に不思議で、まるで映画のカットのようであり、俳優が演技をしているようであり、あまりにもリアルで、奇跡としか思えないようなところがある。2人の表情を見ているだけで、何が会話されているか聞こえてくる雰囲気が漂うし、キューバ革命の路線をめぐる2人の間の深刻な対立と葛藤が手に取るように掴める感じがする。そこに外国人カメラマンがいて写真を撮っているということを2人は気にしてない。2人にあるのはキューバ革命の将来と路線だけであり、1分1秒がそのためにあり、一瞬たりとも緊張を緩めることなく真剣勝負の時間を送っている。誰が周囲にいようが気にしない。そして、間もなく訪れる2人の決別と悲劇の予感が漂う。ゲバラの破滅が表情に予告されている。

ゲバラ_4革命というのはこういうものだ。きっと、ダントンとロベスピエールのフランス革命も同じだっただろうし、レーニンとトロツキーのロシア革命も同じだっただろうし、龍馬と慎太郎と西郷と大久保の明治維新も同じだったのである。すぐ傍で彼らを目撃した人間は、あまりの大型キャラクターによる感動的なドラマの進行に足が震えるほどだっただろう。西郷の人物はキヨソネの肖像画を見ても大型だと分かる。その大きな黒い瞳に接したアーネスト・サトウは、「まるで黒ダイヤのような」と言い、出会った一瞬で魅了された。龍馬の風貌も颯爽としていて、当時の侍たちの写真とは全く違う現代性がある。慎太郎の写真にも惹き込まされる。桂はハンサムで、昭和の時代劇の映画俳優のようであり、そして幾松が維新後に洋装したドレス姿は欧州の貴族令嬢を演じているハリウッド女優そのものだ。お龍も艶やかで美しい。司馬遼太郎の歴史小説を読んだ者が、「あれは小説だから人物を脚色して描いている」とか「大袈裟な作り話だ」とよく言い、私も若い頃はそう思っていたが、最近は全く逆に思うようになった。司馬遼太郎の小説の世界で描かれているより、そこにはずっとドラマティックな世界があり、英雄群像が華麗に舞い踊っていたのだ。

ゲバラ_5映画は、1957年から58年にかけてのシェラ・マエストロの山中でのゲリラ戦のエピソードを断片的に見せつつ、そこに1964年の国連総会出席時のゲバラの演説と米メディアのインタビューを交互に挿入したコラージュで貼り合わせて場面を繋ぎ、最後にハバナ進軍直前のサンタクララ市街戦に勝利したところで終わる構成になっていた。全体にストーリーの展開が曖昧で、登場人物の輪郭もはっきりしておらず、場面場面の意味がよく掴めないし、ゲバラのメッセージも伝わって来ない。メキシコシティでカストロと出会って会話をする場面は出るが、そこも印象が明瞭でなく、ゲバラがキューバ革命に参加する動機や必然性が観客に分かるように描かれていない。カストロのキャラクターの表現に失敗していることもあるが、当時のキューバや南米大陸の社会の構造や矛盾、革命運動の歴史的な系譜について十分に説明されていないので、観客はゲバラがグランマ号に乗船する理由がよく分からない。上陸後の政府軍との戦闘についても、場所や時期や経路などの説明がなく、映像に出る場面の歴史的全体像からの位置づけが分かる工夫がされていなかった。通常の映画だと、こういうとき、物語の進行を案内するキャスティングを用意して観客にストレスを感じさせないようにする。

ゲバラ_6この映画であれば、例えば、ハバナ在住の新聞記者とか、バティスタ政権内部の政府職員とか、米国大使館の情報要員とか外交武官のような配役を設定し、「7月26日運動」部隊の進軍経路だとか指揮系統だとか補給ルートだとかを説明し、個々の戦闘の経緯や都市での政治情勢の変化を台詞にして観客に伝えるものだ。そうした配慮が皆無だった。ゲリラ部隊である7月26日運動と連携する都市の政治組織の姿も若干触れられていたが、具体的にどういう勢力が存在して、1958年のキューバ革命の中でどういう意味や役割を担っていたかが腑に落ちる映像や脚本にはなっていなかった。ここでも、本来なら、都市の政治勢力の指導者のキャラクターを浮き彫りにしたキャスティングを配置して、彼らの台詞の中で政治情勢を説明することは簡単にできたように思われる。が、そういう映画作りの初歩的な手続きが疎かにされていて、歴史を見せる映画として完全に失敗していた。1964年のニューヨーク訪問の見せ方も粗雑で、ゲバラの思想性や人間性を伝える材料にはなっておらず、全体として意味不明なコラージュに終わっていた。監督の不勉強という問題が第一にあり、社会科学的な感性と現代史への関心という点で必要最低限のレベルが欠如している。政治的な言葉(概念)をハンドリングする能力がないのだ。

ゲバラ_7例えば、スペインによるエンコミエンダ制とか、それを引き継いだ米国資本による植民地経営の商品栽培とか、農村の寄生地主制と小作に対する収奪とか、そうした社会構造や社会背景と、それに対する抵抗運動の系譜について、若干でも(高校世界史レベルの知識でも)メキシコシティの会話の場面で説明しておけば、それだけで観客にとってはキューバ革命の必然性が背景として了解できる。革命史劇を物語として描き出すためには、ゲリラ戦の戦闘場面の連続だけでは説明にならない。都市の民衆がゲリラの進軍を「解放」として迎え入れる場面を説得的に見せるためには、社会構造の現実について映画の場面の中で説明を入れなくてはいけない。そうでないと、ゲバラ司令官を迎え入れるサンタクララの民衆たちが人形のようになり、木偶の坊のようになり、朝鮮中央放送の映像で旗を振って金正日を崇め讃える北朝鮮の民衆のようになり、リアリティがまるでなくなってしまう。それから、政治思想的な問題で言えば、やはりマルクス主義の概念(言葉)を台詞に出して、多少ともサルトルとか毛沢東の思想の存在感を出さないと、1950年代後半とか1960年代前半の冷戦期世界を舞台にした、特に政治がテーマの映画としては格好がつかないように思われる。監督の中にそれらに対する認識や理解がどこまであったのか。

ゲバラ_8この映画では何も分からない。私と同じ感想を作品に対して持った者は、あらためてそれではキューバ革命の真実とは何だろう、ゲバラとカストロとはどういう人間なのだろうという関心が沸き起こり、文献を読んで調べ始めることだろう。この映画の封切に合わせて、本屋で「現代思想」の「チェ・ゲバラ」特集号が売られていて、ここに載っている何本かの論文が面白い。伊高浩昭の「チェ・ゲバラ断章」、後藤政子の「カストロとゲバラ」、大田昌国と星野智幸の対談「ゲバラとは誰か」が参考になるのでお勧めしたい。次に機会があれば、ゲバラとカストロの思想的な緊張と対立、ゲバラがカストロに追われた理由や意味について掘り下げてみたい。まさに2人の関係が「革命とは何か」を象徴的に示している。映画の話に戻って、せめてカストロの演説の場面くらいは見せ場として、また映画の説得力として入れて欲しかったが、それもなかった。1953年7月26日のモンタナ兵営襲撃の場面もなく、その説明すらなかった。何で「7月26日」なのか観客には分からない。グランマ号で上陸した82名のうち、生き残った12名を除いて残りは政府軍に包囲されてすぐに殺される。これはキューバ革命の神話の中でもきわめて重要な部分で、映画化した場合は落とせない要素だと思うが、その場面もなかった。ゲリラ戦を戦った革命群像の中で、ラウルとカミロは出てくるが、アルメイダの印象は薄く、カミロの存在もそれほど強く押し出されていない。もっと個性的な英雄だったはずだ。

ゲバラ_Zゲバラ_Z2
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コメント

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No title

見に行こうかどうか迷っていたので、助かりました。

チェ・ゲバラに関しては本を読んだ方が良さそうですね。

アメリカ人ソダーバーグの個性

こういう映画になったのはソダーバーグ監督の個性と、
彼がアメリカ人であることが大きかったのではないでしょうか。
トロに誘われるまで、カストロのことをほとんど知らなかったそうですし、
そもそもベースに、革命に対する共感がないのですから。
「目的を遂行するプロセスに興味があった」と述べています。

それにしても、顔で負けているというのは根本的な批判ですが、
顔で負けていない俳優がいない状況ですからね(笑)
ゲバラとカストロが話している写真は、おっしゃる通り本当に素晴らしい。
青春の物語にあふれています。
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