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格差と貧困 - 本当に「格差ではなく貧困」(湯浅誠)でいいのか

格差と貧困_1格差と貧困の問題を考えている。格差の言葉が民主党のマニフェストから消えたのはなぜだろうか。「格差」や「格差社会」がマニフェストから消えても、新政権が「貧困の実態調査をする」という公約が入ればそれで問題ないのだろうか。私は、格差批判の言説が政党のマニフェストから消えた意味は大きいと思うが、その問題点を指摘する声は全く聞かないし、誰も注意を向けようとしない。その無関心自体が一つの大きな問題であるように思われる。仮説的に言えば、日本人は格差社会に馴れ始めている。格差社会への適応力を身につけ始めている。格差社会が構造的に固定化して循環し、それを否定したり原状に戻すことは困難だと観念し、言わば諦め始めている。格差社会を所与として前提し始めている。今回、社民党のマニフェストのキャッチコピーは「生活再建」で、公明党や民主党と差のないものになった。「格差」は二の次にされている。敢えて民主党や公明党と同じになる訴求上のリスクがありながら、「生活」を「格差」より上に上げたのはなぜだろう。「生活」の方がマイルドだからだ。「格差」を訴えると尖ったイメージになり、集票のパークが小さくなるマイナス効果を畏れたからである。  

続きの内容をレジまぐ版に公開しました。コメントはこちらの方にお願いします。

なぜ野党のマニフェストから「格差」のキーワードが消えたのか、政治の現場において格差社会批判の言説が後退しているのかを考えてみました。記事では二つ仮説を挙げています。第一に、格差批判の言葉が選挙の争点(関心)として議論された4年前や2年前に較べて現在は格差社会が構造的に固定化し、すなわち現実的な所与なり前提となっていて、一般国民にとっての「将来の脅威や恐怖」ではなくなっていること。

第二に、格差を批判し対抗する側が、「格差ではなく貧困である」という問題認識を定式化し、言わば格差批判の言説を内側から閉め出して無効化させ、政党もその定式に準拠したという思想的な事情と背景があるのではないかと考えます。格差と貧困とは同じではないですよね。貧困対策という術語は成立しますが、格差対策という術語は成立しません。同様に格差社会という術語はありますが、貧困社会という術語はありません。

貧困よりも格差の方が、新自由主義に対するトータルでラディカルな批判意識を表現した言語と言えるのではないでしょうか。敢えて言えば、ミドルクラスは格差の言語で新自由主義を批判し、プロレタリアは貧困の言語で新自由主義を批判する,、格差の言説は新自由主義の社会構造を批判し、貧困の言説は新自由主義の社会現象を批判する、という具合でしょうか。そういう印象を持ちます。整理として間違っているかもしれませんが。


格差と貧困_z格差と貧困_z1


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No title

日本人、特に30代半ばまでの人間にとっては、格差に対する抵抗が比較的薄いのだと思います。それより上の世代との比較の問題です。香山リカさんが「貧乏クジの世代」とかいう本を出したときに、本当にそうだと思いました。

バブル後の就職氷河期に正規雇用からあぶれざるをえず、正規雇用になったとしても、中高年の雇用を守り続けるために賃金上昇は望むべくもない。これで過去10年を過ごしてきたのですから、格差はもはや所与条件になっているのではないでしょうか。

橋本徹が全国知事会の意見を代表するようにマスコミに登場し、他の知事がそれに意を唱えない現状には本当にがっかりします。テレビではしゃぐヒマもないほど、地元のことに取り組んでいる知事もいらっしゃるのに、なぜこういう人の活動をマスコミは追わないのでしょうね。地方自治の現場だというのに・・。

No title

>「行政ではなく企業が直接に面倒を見ればいいという考え方であり、
>内部留保を国家を経由せずに直接に労働者に配分すればいいという立場に立つ。」

同感です。行政に比べて、企業の社会的責任・機能について取り上げている言説のなんと少ないことか。

例えば、公的な職業訓練が雇用につながるという話なども、まやかしではないですか。本来なら企業の責任で担うべき従業員育成のコストを外部に、しかも非効率な形で、転嫁する仕組みに見えます。
企業が自ら手をかけて人を育てるからこそ、その人が企業にとって固有の大切な存在になっていくのですよね。公的職業訓練によって、いつでも都合のいい時に仕入れられる部品のように労働者が提供されるなら、企業が人を育てて抱える必要は少なくなります。

庶民から集めた税金で企業に役立つ仕組みを作り、その仕組みを利用して生み出された富は、企業という装置を通して一部の人間に集約されていく。これでは格差が固定化されるばかりだし、人々と社会が全体として豊かになっていくはずもない。

>「貧困は現象であり、格差は構造である。」

私たちは、貧困を救済するだけでなく、格差をつくる構造に焦点をあてて政治の主題とし、その構造が修正されるよう常に意識していなければならないのですね。自由な企業活動が、社会と調和し人々の豊かさへとつながるように。

はじめまして

>格差の言説は新自由主義の社会構造を批判し、貧困の言説は新自由主義の社会現象を批判する

仰るとおりと思います。
更に新自由主義への対処としては、前者の立場から根本的解決策を講じる必要があり、社会に新たな捩れを引き起すであろう後者の立場の先鋭化は好ましくないものと考えております。

>行政ではなく企業が直接に面倒を見ればいい

まったく、そのとおりですね。企業は株主のものでなく、従業員と共同体に返さなければなりません。

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