花神はどこへ行った - Where Have All The Engineers Gone ?
昨夜(3/30)のNW9を見ていると、またぞろ怪しげな原子力の専門家が登場し、排水口の海水に含まれているヨウ素131が法令基準値の3355倍の濃度である問題を解説していたが、その原因については全く要領を得た説明をしていなかった。テレビに出る原子力工学や放射線医学の専門家の話は、西山英彦や枝野幸男の意味不明のゴマカシ会見を擦り、それをフォローし、コーティングしているだけで、解説として満足できる議論になっていない。そこには、自己の知識を動員した仮説の構築が試みられておらず、科学者としての良心や知性や責任感が寸毫も感じられない。政府当局の会見を要約して伝えるだけなら、サラリーマンの水野倫之の仕事で十分なのだが、政府当局のその場凌ぎの欺瞞と詭弁を抵抗なく信じ込ませ、国民の動揺を押さえ込むために、東大教授とか阪大教授の権威の肩書きを示威しているのだろう。彼らは学者ではなく官僚である。彼らの解説には、問題に立ち向かって推論と仮説を提示する営為がない。問題を捉えるべく概念化を試みて説明しようとしない。知っていることと知らないことを区別する率直さがない。ウェーバーの言う「精神なき専門人」の腐り果てた窮極の姿。NHKに出て来る御用専門家に較べれば、3/29に報ステに出た東工大の者は、自分は専門の原子物理についてはコミットできるが、配管や水の問題まで説明できないと限定を付したが、そちらの方がまだ科学者らしい態度だったのではないか。
火事場泥棒で消費税増税を企む一色清と財務省 - 建設国債でやれ
昨日(3/29)の記事で、震災が消費税を日本の政策の争点から外したと論じたが、とんでもない事実誤認だった。この震災と原発事故の混乱のどさくさに紛れて、復興予算の財源手当を名目に、消費税増税が火事場泥棒的に強行されようとしている。これには驚き唖然とした。昨夜(3/29)の報ステの中で、一色清が平然とその暴論を吐いているので、慌てて新聞社のサイトを調べたら、やはり、財務官僚が巻き返していた。3/18の時点では、日銀引き受けの復興国債発行で確定だったはずの財源措置が、いつの間にかそれが消え、消費税増税を主体とする財源論に変わっている。一色清は、あくまで復興予算の緊急措置で、期間を区切って増税し、復興予算の財源確保の目的を遂げたら税率を下げると口上を垂れ、キリッとした顔つきで与謝野馨と財務省の代弁をしたが、そんな見え透いた嘘を国民が信じるはずがないではないか。泥縄的に「社会保障」の名目での消費税増税に繋げ、税率は下げずにそのまま維持するか、さらに引き上げて行く魂胆なのだ。つまり、国民に抵抗があって容易に踏み切れなかった消費税増税に、この震災を機に復興対策を隠れ蓑にして滑り出そうとする卑劣で姑息な手法を押し通そうとしているのである。国民が悲劇に突き落とされたこんな非常時でさえ、ペイアズユーゴーを公然と言い、東北や関東の者にも増税の負担を冷酷に強いるのである。
日本の三つの可能性 - 再生、新自由主義による東西格差、破滅
辺見庸は、3/16の特別寄稿の中で次のように言っている。「われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の『個』が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかでなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか、すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追求できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう」。この言葉は重く響く。人として問われ、求められる誠実さと較べて、政府も、報道も、ネットも、とても遠いところにいて、特に東京で生きている者たちがそうで、自分もその中で藻掻いているだけのように見える。私は、どうしようもない無力感に苛まれながら、三つのことを考えている。この国の今後の三つの可能性について。
40キロ離れた飯館村でチェルノブイリ避難地域の6倍の放射能汚染
いつもなら桜の開花に心を寄せる季節だが、今年はそれがテレビ報道の話題にならない。駅も電車の中も節電のために薄暗く、戦時下のように風景が変わり、われわれの生活が変わった。今日(3/25)の朝日の1面には、「福島第一、レベル6相当」と見出しが出ている。保安院が3/18に発表したレベル5が引き上げられ、スリーマイル島を上回る事故規模が確定的となった。これは、朝日が政府高官(おそらく仙谷由人)からリークを受けて先出しする告知情報だ。レベルを引き上げる根拠あるいは契機となったのは、外国の関係機関による放射能推定の情報だろう。3/23には、オーストリアの研究所が福島第一原発から放出された放射性物質の量を試算して、事故後3-4日のヨウ素131の放出量はチェルノブイリの10日間の約20%、セシウム137の放出量は同じく約50%と推計している。きわめて多い。しかも、福島の場合は、2週間経った今でも放射性物質の漏出が続いている。政府や報道は、福島の事故について「チェルノブイリとは違う」と強調し、炉心爆発の有無や原子炉構造の差異を論い、今回の事故の規模を小さく印象づけようとしてきたが、内部に格納されている核燃料の量が福島はチェルノブイリの10倍もあると言われ、また、チェルノブイリでは1基だけの事故だったのに対して、福島では同時に4基で火災が起きている。チェルノブイリは爆発によって短期に放射能を拡散させたが、福島は時間をかけてゆっくりと漏出と汚染を続けている。
救援物資は首都圏から小口車両でピストン輸送する中央処理方式を
昨夜(3/22)のNHKのクローズアップ現代は、被災地に物資を届けるロジスティックスについて特集していたが、出演させたゲストの話が恐ろしく一般論で、「仕組み作り」などと称して3か月先の話を悠長にしている。明日、ガソリンと灯油を現地に配達する具体論になっていない。この震災が起きて以降、テレビでは新顔の「専門家」が多く登場し、「支援体制の仕組み作り」を喋々するが、どれも危機感と説得力のない抽象的な持論の饒舌ばかりで、今、被災地で水・食料と燃料・医薬品を待っている人々に即応する提案や発言になっていない。どこか遠くの国で起きた震災を眺めて評論しているか、数か月前に起きた災害について迂遠な対策論を講じているようだ。呆れるほど無意味な茶飲み話ばかりがテレビ論壇を覆っている。テレビに登場する論者たちは、被災地の生の窮状を全く実感できていない。一分一秒を争う深刻さを皮膚感覚でわかっていない。自分の顔と持論をテレビで売ることに神経が集中している。NHKは何を考えているのか。国谷さんの番組とも思えない。過去の出来事ではないのである。被災地では70万人が生き地獄の中で喘ぎ、命の危険に曝されながら政府の救援を待っているのだ。問題は、今すぐに何をどう手を打つかで、短期速効の緊急救済案こそを論じ、テレビを通じて直截に政府執行部を動かさなくてはならない。応急策と中期策を分けて論じる人間がいない。
読者からのメール (3/23 00:32 受信)
地震の被害のことも原発のこともいいニュースが全くなく、暗澹たる気持ちになってしまいます。盛岡周辺のガソリンは,前よりも手に入れやすくなったようですが、5時間待ちはざらです。私の車もそろそろガソリンがなくなりそうなので、片道15キロですが、今日は自転車で通勤しました。明日は,勤務の振替で休みになるので、スタンドに並ぼうと思っています。NHKのニュースで気になったことですが、岩手県の地方版のニュースで、アメリカ軍が被害を受けた大船渡湾の岸壁の被害状況を念入りに調査しているところと、被災者に支援物資を届けているところが、長い時間を割いて報道されていました。きっと、自分の国のために調査結果を役立てるのでしょうね。今日の、7時からのニュースでは、アメリカの原子力空母から避難物資が運ばれ、それを避難所にいる方が受け取り、感謝の気持ちを表している映像が,これもかなりの時間を割いて報道されていました。アメリカのおかげで、被災者の方々が助けられているような報道の仕方だったように思えました。 事態を掌握していない辻元清美 - 災害官僚の如きプロ・ボランティア
昨日(3/21)の辻元清美のBlogの記事には、「いまは、個人のボランティアが受け入れ先もなく現地で活動できる状況ではありません」と書かれている。しかし、昨夜のNHKのニュースでは、3/19に撮影された若林区のボランティアセンターの様子が特集され、そこでは、ボランティア希望の若者が殺到して夥しい群れをなし、登録のための待ち行列が事務所から溢れる混雑で、登録手続を終えるまでに3時間並ばされるという盛況だった。しかも、ボランティア登録したものの被災住民からの支援要請が少なく、若者たちが事務所にすし詰め状態で仕事を待機するという「需給のアンバランス」の現状が報告されていた。宮城や岩手の被災地では、すでに現地のNPOが動いて被災各地にボランティアセンター(VC)が開設されている。VC毎に事情が異なり条件は一様ではないが、すでにVCは個人の登録を受け付けて活動を展開している。辻元清美の言う「個人のボランティアが受け入れ先もなく現地で活動できる状況ではありません」の指摘は嘘だ。辻元清美は災害ボランティア担当の首相補佐官であり、このミッションの政府の責任者であるにもかかわらず、現地の状況が全く正確に認識されていない。NHKの若林区VCの映像は3/19の取材である。辻元清美の言葉は3/21のものである。若林区VCで若者たちが奉仕機会を待ちぼうけしていた頃、3/19のNHKの放送では、やはり松本浩司が、「現地の受入態勢が整ってない」と言って制止を続けていた。
紙切れの災害救助法、災害行政を差配するNHK報道、ネットの無力
宮城県や岩手県の知事が何で報道に出て来ないのだろうと不審に思っていたが、その理由の一つかと推測される法律の所在があった。災害救助法という行政法がある。そこには次の条文規定がある。第22条、「都道府県知事は、救助の万全を期するため、(略)強力な救助組織の確立並びに労務、施設、設備、物資及び資金の整備に努めなければならない」。第23条、「救助の種類は、次のとおりとする。1.収容施設の供与、2.炊出しその他による食品の給与及び飲料水の供給、3.被服、寝具その他生活必需品の給与又は貸与、4.医療及び助産、5.災害にかかった者の救出、(略)」。一読して明かなとおり、災害救助の責任者は県知事であり、知事には上の1-5を遂行する法律上の義務と責任がある。果たして、東北3県の3知事の一週間の行動は、この法律に照らして適切で妥当だったのか。テレビが知事を放送に出さないのは、災害救助法の義務違反という法的責任の問題が浮上するからだろう。私はそう疑っている。厚労相も、災害発生より一度も会見がテレビ報道に出ない。この法律の第31条には、「厚生労働大臣は、都道府県知事が行う救助につき、他の都道府県知事に対して、応援をなすべきことを指示することができる」とある。現在まで、細川律夫が石原慎太郎に対して、都から被災地に「県境なき医師団」を派遣要請したというニュースを聞かないが、第31条は義務ではないから無視してよいということか。
読者からのメール (3/17 12:05 受信)
故郷仙台市に住む姉の言葉である。「復旧はいつになるかわからない。会社にもいつから行けるかわからない。長持ちする食べ物とガソリンがほしい。」姉のところは幸いにも建物に大きな被害はなく、電気と水はやっと通じたという状態だった。が、食べ物とガソリンが買えないという。当方、長野で細々と米を作っているので米を送ろうと思った。ゆうパックは強いと聞いたので問い合わせてみると、「東北方面はお受けできません」とけんもほろろ。タウンページの宅急便を端から電話していて、次第に怒りが込み上げてきた。その中で佐川急便だけは、「仙台市内の営業所までなら運べます」との返事! しかし、市内に一カ所の営業所までガソリンがなくて自転車で取りに行ってもらうということになる。荷物の大きさはあまり大きくはできない。 幹線道路の通行を規制しているために運送業者が締め出されているとすれば、通行権のあるものが物資を食べ物を運ぶ責任がある。通行規制しておいて物資を十分に輸送しないのであれば幹線道路確保は本末転倒ではないか。また、プロの運送業者が、この緊急事態に「お受けできません」とはあまりに情けないではないか。 東北三県の国会議員の皆さんへ - 避難生活者の命を救って下さい
皆さんは、いま何をやっていますか。自分の選挙区の避難所の数、場所、人数、状況を把握されていますか。そのリストをお持ちですか。ご存じでなければ、県警本部に最新情報がありますから、情報を入手して確認をして下さい。そして、避難所に救援物資を届けて下さい。自衛隊の駐屯地に溜まった緊急物資を運搬させて下さい。車両とガソリンと運転手を確保し、県や市に届いた物資を沿岸の避難生活者まで届けて下さい。それを指揮して下さい。避難している人々の命を救って下さい。それが国民代表である皆さんの義務であり使命です。県を動かして、県の災害対策本部に一般からの救援物資の受付窓口を作って下さい。今、皆さんの頭の中には、域内のどの避難所でどの物資がどれほど不足しているか、逆に、域内のどの集荷所にどれほどの救援物資が積み置かれているか、数量と状態が把握されていますか。そのスキームとネットワークとロジスティックスのイメージができていますか。言わずもがなですが、NHKが言っている三陸の道路寸断の話は嘘です。被災地を見殺しにして、行政が責任を回避するため、全国に撒いている情報工作です。孤立している海岸集落は別にして、役場のある町までの道路交通に問題はありません。なぜなら、東京から来た大量のマスコミ関係者が、出張気分で現地を闊歩しているではありませんか。交通が本当に遮断されていれば、撮影機材を持ったテレビ局のクルーが気儘に入れるはずがありません。菅直人と自衛隊の嘘、被災地を見捨てる作り話、政府批判しない野党
政府発表の情報と説明が出鱈目なのは、原発事故に関する発表だけではない。東北の地震津波被害の救助や救援についても、都合の悪い事実は隠し、虚偽の報告を堂々と出して国民を騙している。昨夜(3/15)、NHKの番組の中で解説委員の松本浩司が、現在、自衛隊と消防・警察を合わせて2万6千人が被災地で救助活動に動いていると説明した。それでも数が足りないので、全国の自治体から職員の応援を求める態勢だと言う。私は、3/12と3/13の2日間のテレビを見ながら、明らかに陸自の派遣が少ないと直感し、防衛省による当初計画の8千人しか展開してないと推測したが、やはりその不審と疑念が的中した。菅直人は3/13夜の官邸会見で、自衛隊はすでに5万人を動員していると国民を前にコミットしている。しかし、3/11から5日、3/13から3日が経った時点で、自衛隊と消防と警察を合計した救助活動の動員数がわずか2万6千人だ。菅直人の嘘が証明されたことになる。今後、現地の陸自隊員は5万人、さらに10万人と増派されるのだろうが、彼らは瓦礫の清掃と消毒の作業でもするのだろうか。救出活動というのは、倒壊した家屋から生存者を掘り出したり、屋根の上で救助を待つ者をヘリに引き揚げることを言うはずだ。3/13の会見で菅直人は、2日間で1万2千名を救助したと胸を張ったが、この数字は厳密な意味での救助ではない。被災者の生存を発見し確認した分が含まれ、大本営発表で数が水膨れしている。
「新しい公共」で見殺しにする政府、被災地をネタにするテレビ報道
相変わらず、NHKは避難所にカメラを入れ、「今、必要なものは?」と聴き、それを被災者に言わせている。カメラの前の人々は、藁をもすがる気持ちで「水、食料、毛布、情報、灯油、医薬品」と答える。しかし、誰がそれを届けるのだ。NHKは悪魔のように残酷で欺瞞的だ。宮城県も岩手県も福島県も、災害対策本部をまともに動かしておらず、全国からの救援物資の受付業務をしていない。本部長である県知事が姿を隠して顔を出さず、震災発生から4日が過ぎたのに何も言葉を発しない。救出や救援の意思を示さない。政府や国民に対して、救援を依頼し懇請する立場の責任者が、テレビに出ず、何も言わずに沈黙している。この無責任と逃走には理由がある。まず、おそらく県に救援物資の備蓄がないのだ。非常用食料、毛布、医薬品等、災害時に緊急に搬送しなければならないものを、県の「事業仕分け」で倉庫から処分していたに違いない。昨年の事業仕分けでは、蓮舫が農水省の備蓄米事業を無駄だから廃止だと断じていた。もう一つ、おそらく政府の方が各県知事に指示を出して、マスコミに出て喋るなと口止めしているのだ。国から被災地に給付するものがなく、国が救援事業を本気でやる気がないから、行政による支援が行われているような想定や前提を作り出すなと県に厳命しているのである。行政は支援しないのだ。救出活動(自衛隊)も必要な量を投入しないし、救援物資も十分な量を手当しないのである。
読者からのメール (3/14 06:23 受信)
岩手県、盛岡市に住んでいます。今回の地震の時は、勤務先の小学校にいました。たまたま、午前授業で子どもたちは、すべて下校した後だったのですが、2時45分頃の地震時に私の受け持ちのクラスの子供が5人校庭で遊んでいたので、状況を見ながら子どもたちを家に送り、学校に戻ってきたのが4時すぎでした。10分ほどの大きな揺れでしたが、幸い建物に大きな被害はありませんでした。自宅まで、30分ほどで(自家用車)つくのですが、信号も止まっているため1時間30分くらいかけて帰宅しました。家族は無事でしたが、停電・断水でした。ガスは、使えました(おとといの夜復旧しました)。ラジオで、被害の様子は聴いていたのですが、沿岸の方の津波の被害の大きさにびっくりしました。停電が長引くような気がしたので、買い出し(電池・携帯充電器・食品)、飲料水を調達するために車で移動中にテレビでのニュースを見ると津波の大きさ、何度も訪れたことのある風光明媚な三陸海岸の市町村の無惨な姿が映し出されていました。震災から3日目 - 自衛隊の人命救助、県の災害対策、テレビの論者
菅直人の3/13夜の会見では、自衛隊はすでに5万人を展開させていると言っていたが、その説明はどう考えても嘘だ。今回、被災地が広範囲に多数点在しているため、大量に派遣しても一か所当たりの投入人員が少なくなる制約は理解できるが、それにしても自衛隊の出動規模が小さく、また初動と展開が明らかに非常に遅い。おそらく、3/13の時点で実際に救助行動していたのは、菅直人が最初(3/11)に挙げた8千人かそれ以下なのだ。その後、増派動員のオーダーは2万人になり、5万人に膨れ、3/12の夜には10万人の数字になった。が、3/13朝の報道では、菅直人がコミットした10万人に対して、北澤俊美が「今日中に(制服と)検討して一両日中に動くよう整える」と、不服従の意のコメントをマスコミに返していた。この発言は、通常の統帥プロセスなら考えられない逸脱で、自衛隊の最高司令官の菅直人が指示を下したのだから、幕僚監部が直ちに各方面隊に命令を発し、派遣部隊を編成して被災現地に急派させなくてはいけない。災害は戦争と同じだ。突然の敵軍の侵略に対して、最高司令官が即時戦闘命令を出しているのに、幕僚監部が「一両日中に準備します」と言って怠業するのと同じである。裏を考えると、3/14の午後3時で人命救助のデッドラインである72時間を超える。北澤俊美と幕僚監部は、このデッドラインを承知しながら、意図的に「一両日中の準備」を回答しているのだ。悪魔としか言いようがない。まさに政府権力から独立した戦前の日本軍。
沖縄県民はNHKと大越健介に抗議を - メア擁護の悪質な売国報道
昨夜(3/10)のNHK・NW9の放送には唖然とさせられた。キャスターの大越健介がメアの暴言を擁護する内容の報道を延々としたからである。狡猾な大越健介は、「メア氏を擁護するわけではありませんが」と前置きしつつ、メアの発言が出て来た理由を考える必要があると言い、中身はメアの立場を擁護する議論で埋めていた。その趣旨と論理は以下のとおりである。(1)これは一外交官の個人的問題ではなく背景がある、(2)日米で決めた辺野古移設が前に進展しないので米国側が苛立っている、(3)普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのは約束を守らない日本政府に問題がある、(4)日本国民はメアを批判するだけでなく基地問題を真面目に考えろ。要するに、メアの沖縄差別発言は、辺野古移設を早期着工しない日本側に対する米国側のフラストレーションが原因だと言い、メアが暴言を吐いた動機について正当性と情状酌量を認め、日本国民はそれを理解する必要があると説教するのである。国民の視聴料で運営する公共放送でありながら、売国報道も極まれりとしか言いようがない。メアに侮辱されたのは沖縄県民だけではないのだ。日本国民に対する許されない悪質な暴言である。これはまさに、NHKによるメアと米国側の立場の合理化と正当化であり、傷つけられた沖縄県民に対するNHKによる二重レイプの暴挙である。沖縄県民はNHKに断固抗議するべきで、絶対に大越健介を許してはならない。直ちに糾弾行動を起こすべきだ。
メアの侮辱発言と米国の退廃 - ルースとクリントンに正式謝罪させろ
メアによる沖縄差別の暴言の件、更迭の報道は流れたが、米国政府からの正式な謝罪は発表されていない。米国は謝罪すべきであり、日本政府は米国に説明責任の履行を求めるべきだ。この件は、クリントンにプレスの前で謝罪の言葉を言わせ、米国政府の立場と態度を明らかにさせる必要がある。メアが公務の講義で発した言葉は、米国の社会では看過できない禁忌である人種差別と偏見のオンパレードで、苟も国務省の高官が、しかも担当する国の人々に対してこうした侮辱発言をしたことは、米国政府自身にとってきわめて深刻で衝撃的な失態であるはずだ。人種の平等を理念に掲げる米国にとって、この政府内の不祥事は絶対に許容されない原罪的過誤であるはずだろう。マスコミやネットからはこうした方角の声が上がらないが、本当なら、米国内の報道と世論が敏感に問題を取り上げ、メアと国務省を糾弾するのが当然であり、米国内で自浄作用が起きてよい重大問題ではないのか。米国議会の中にも日系議員がいたはずだが、何も波紋が広がっている様子が伝わらない。在米の日系社会はどうなっているのだろう。日本は病んでいるが、米国もどうしようもなく病んでいる。現在の日本と米国の関係は、本当に醜く爛れていて、グロテスクでデカダンスとしか言いようがない。米国人は自覚していないが、日本問題というのは米国にとって深刻な病理なのだ。単に生き血を吸い取っているだけではない。毒が体に回っている。
前原失脚で痛恨なのに平静装うジャパン・ハンド手嶋龍一の与太話
誰もが知るとおり、前原誠司は安保・外交政策を本分とする政治家であり、高坂ゼミ出身の生粋の日米同盟の申し子である。前原誠司の口から、金融経済に関する政策の議論や提言など一度も聞いたことがない。その前原誠司が、2008年から2009年の国会で畑違いの財政金融委員会に出没し、貸金業者のグレーゾーン金利規制の撤廃を主張して獅子奮迅の活躍をしていた。森まさこによる証言でその事実が暴露されたとき、最初は意外で呆気にとられたが、同時に、前原誠司の卑劣さに対して渾身の怒りがこみ上げてきたものだ。07年-08年の当時、前原誠司は役職を持たない素浪人で、日々の動静に世間の注意が向かない日陰者の存在だった。つまり、夜の巷で誰と会って飲み食いしようが、誰と何を話して何を受け取ろうが、報道記者の監視の目がなく、自由で奔放な政治家の私生活を享楽できた時期である。狡知な前原誠司は、おそらく、この環境と時間を利殖と蓄財の機会として存分に活用し、公職に就いた身では困難となるリスキーでダーティーなメイクマネーに執心していたのだ。生い立ちで苦労した新自由主義者は、どれも例外なくカネに汚い。竹中平蔵が典型的だが、法律の網の目をくぐって不正に利を得ようとし、その行動を積極的に合理化し正当化する。ウェーバーの言うパーリア・カピタリスムス(Paria Kapitalismus)の性向が看取できる。
前原誠司と暴力団の影 - 貸金業者の金利規制撤廃に奔走していた
予想していた以上に速いテンポで事態が進行し、疑惑発覚から3日目の昨夜(3/6)、前原誠司が外相を辞任した。日曜の深夜に外務省で会見という異例の騒動で、逃げ足の速さに舌を巻くが、付き合わされた外務官僚も迷惑千万だっただろう。辞任は一つの責任の取り方だが、説明責任を果たす場から逃亡を図っていること、日本国の外交日程を混乱に陥れたこと、その二つの意味で無責任の誹りは免れない。マスコミ報道で解説されているとおり、傷口を広げないうちに姑息に遁走したのであり、職に止まっていれば政治生命に関わる重大な危機を招く恐れがあったのである。第一に、在日外国人献金の故意性の問題がある。「認識してなかった」という釈明は嘘だ。追及の結果、事実が判明して嘘がバレると、議員辞職しなければならない破滅に至る。第二に、暴力団フロント企業からの献金の問題がある。この件では、黒い企業や代表の名前が表に出るのを恐れ、報告書に虚偽記載をする不正を犯している。政治資金規正法違反の事件としては、在日外国人からの献金よりもずっと悪質で重大だ。この件は、まだ問題のとば口に立っているだけで、全体の輪郭が浮かび上がるのはこれからである。第三に、北朝鮮との黒い癒着の疑惑がある。おそらく、週刊誌はこの醜聞にフォーカスして取材編集しているはずで、今週号で暴露記事を書いて部数を売るだろう。
前原誠司の外国人献金疑惑 - 状況証拠で故意性の立証は可能だ
昨日(3/5)の記事について法律論の指摘があり、刑法第38条に「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」の規定があり、この原則が刑事法一般の罰則規定に広く適用されるため、前原誠司の件についても、故意の存在を要件とする3/4の事務方の答弁は妥当であるという説明だった。とすると、やはり、在日外国人からの献金授受についての故意性の有無が焦点になり、違法行為と断定できるかは、本人が在日外国人からの寄附について認識があったかどうかが問題となる。本人は「認識がなかった」と釈明し、この献金授受の故意性を否定するが、果たしてそれは真実として信用できるものなのか。3/4の国会質疑では、西田昌司は、5万円の寄附が4年間行われている事実を紹介し、前原誠司の献金受領が意識的なものである蓋然性を示唆していた。継続し反復して受け取っているので、過失の推定はできないとする見方である。3/4の午後の経過を思い返すと、参院予算委での答弁の現場では、前原誠司は「認識がなかった」とは断言しなかった。質疑終了後の外務省での会見の席で、法的責任に関わるこのクリティカルな発言が出されている。議場では、「全体像を把握する」と言って逃げていた。おそらく、予算委の直後に、枝野幸男か仙谷由人が入れ知恵し、会見で「認識がなかった」の一言を言い、故意性を否定しておけとリーガル指南したのだろう。
前原誠司を東京地検に告発せよ - 故意性の不在で免責はできない
昨日(3/4)、参院予算委の初日の審議をテレビで見ていたら、予想どおり、前原誠司の資金疑惑の問題が質疑で登場した。しかも、週刊誌の報道で浮上した暴力団のフロント企業による献金と収支報告書の虚偽記載とは別に、全く新しい情報として在日外国人献金の一件が飛び出した。「爆弾」の投下と炸裂である。前原誠司は表情が強ばり、カラフルな委員会室はしんと空気が静まり、事の重大性を印象づける時間が暫く流れた。質問者の西田昌司は、なぜか前原誠司を深く追及しようとせず、菅直人に対する罵倒に鉾先を転じて持ち時間を潰し、さらに外国人参政権批判の演説などを無用に始め、視聴者も議場も興醒めする不愉快な展開となったが、今後の政局に決定的な影響を与える一事であることは歴然だった。やや不思議なことに、質疑から3時間後の19:00付のTBSのニュースがネットに配信されていて、問題の山科の焼肉店の経営者へのインタビューが放映され、映像の中で本人が献金の事実を認めている。もし、TBSが国会中継で初めて問題を知ったとすると、経営者の特定やアポ取りも含めて、この取材と放送はあまりにタイミングが早すぎる。つまり、TBSは予め情報を知っていて、この映像も国会の質問前に撮った録画なのだ。自民党の西田昌司から事前にリークがあったと考えられるが、或いはTBS側が先に情報を掴み、それを自民党に流した可能性もある。
政党政治の崩壊を嘆く者へ - 「政治改革」は政党をどう変えたのか
「二大政党による政権交代」の命題なり範疇が崩壊しつつある。現在の日本の政治について、そう洞察を与えることができるはずだ。「二大政党による政権交代」を理想として描き、その体制の建設に参加し下から支えてきた人々が、その欺瞞に気づき、あるいはその不可能性を直観し、コミットする立場から次第に離れつつある。批判的な観点から言えば、「二大政党による政権交代」の言葉のイデオロギー性が明らかになり、真理価値が剥落して、一般の支持や信仰をよく繋ぎ止められない状況になりつつある。日本の現代政治史において、1990年代初から20年間続いてきた「二大政党の時代」が終焉を迎えつつある。今朝(3/1)のワイドショーで落合恵子が吐露した寸言が典型的だと感じたが、人々が「二大政党による政権交代」の範疇に挫折を感じ、裏切られたと思い、積極的な期待と信頼を寄せて接することができない対象になっている。この20年間、日本人は政治において、このイデアにコミットし続けてきたのであり、このイデアをモデルとして現実に体制構築し、円滑十全に運営することで、この国のデモクラシーを発展させられるという信念の下に生きてきたのだ。そのイデアがイデオロギーに転化しつつある。うそ臭さが露わになり、愚神礼讃だったのではないかという懐疑が芽生えつつある。それは、「政治改革」に騙されてきたという反省に繋がるだろう。「政治改革」の言説の支配が終幕に近づいているのである。
二大政党制の崩壊へ - 原口一博、平野貞夫、河村たかし、橋下徹
週刊誌が総選挙のシミュレーション記事を出して売り始めた。こういう状況になると、政界も徐々に浮き足立つようになり、派閥が先行して選挙対策会議が持たれ、資金の工面が始まる。地元の対抗馬の様子を睨みながら、事務所を構え、ポスターを作りという本番への準備作業が走り出す。党本部では候補者の調整が本格化する。現在、状況は混沌としていて、解散になるのか、菅辞任になるのか先が読めないが、総選挙の場合は大きく二つのテーマが浮上する。一つは政界再編で、もう一つは消費税増税とTPP加盟の政策争点である。間違いなく、この二つが被る選挙になり、答えを出す選挙になる。そう考えると、この選挙はとても重い。重すぎて、誰もよく課題をキャリーできず、選挙の後にさらに混沌が深まるだろうと予感を持つ。力持ちがいないのだ。政界再編の方から考えてみよう。今回、選挙に転んだ場合、従来のように、民主と自民がマニフェストを提示して、二大政党の間で政権をめぐって争うというスタティックなパターンを想定することが難しい。まず、民主党が分裂して選挙に雪崩れ込む公算が高い。そして、河村たかしや橋下徹が第三勢力を興して国政に乱入する。第三勢力が支持を得て、名古屋・愛知の選挙が各地で再現される可能性が高い。つまり、国民が民主党も自民党も支持せず、二大政党から心が離れていて、第三勢力の台頭と政界再編を求めているという現実がある。
マニフェストの弁証法 - 支配の道具だった範疇が抵抗の武器になる
丸山真男は、晩年の論文「思想史の方法を模索して」の中で、次のようなことを言っている。「一般に、ある制度なり、ある思想なりが、一定の歴史的条件の下で、一定のイデオロギー的機能を果たすべく誕生したとしても、そうした『道具』が主人の意図に反して、『目的の変生』を遂げたり、主人に向けられた逆の刃になる例は史上稀ではありません。むしろ思想史などはそうしたアイロニーに満ちています」(第10巻 P.322)。この叙述は、丸山真男が若き日に学問的影響を受けた新カント派のヴィンデルバントについて論じた部分で、「目的の変生」という思想史の用語もヴィンデルバントのものである。「道具」が主人の意図に反して逆の刃になる例として、丸山真男はヨーロッパの自然法思想を挙げている。現世のあらゆる人定法を神の意思たる自然法に基礎づけ、教会の秩序と支配を正当化した中世自然法が、ホッブズからロックを経て、やがて近代的な社会契約を根拠づけて王権神授説を否定する市民革命の思想的武器となる。生成されたイデオロギー的範疇が歴史の中で転成され、政治的担い手が変わり、意味と機能が変わる過程を追跡すること、それが丸山真男の思想史の重要なモメントだった。私は、あのマニフェストが、まさにそうした政治思想史の観察対象になるのではないかと直観する。意味が変容し、支配の道具だったものが、抵抗と変革の武器に転じつつある。
「政局」と「政策」の言語とシンボル - 落合恵子と鳥越俊太郎の凋落
本日(2/24)の朝日が、また小沢叩きの社説を掲載した。2/19、2/22に続いて一週間に三度目で、二日に一度のペースで小沢攻撃のキャンペーンを絶叫している。常軌を逸した乱発と暴走としか言いようがない。テレビのニュース番組は、NZの地震とリビア情勢の報道で埋められているのだが、朝日にとっては小沢叩きの連呼こそが新聞の使命なのだろう。あまりに度を過ぎた偏執狂ぶりに空いた口が塞がらない。こうして社説で叩き固めたからには、その主張の「正しさ」を証明すべく「世論調査」を出す魂胆なのだろうが、一足先にYahooがネットでの世論調査を公開しているので注目しよう。「党員資格停止の処分についてどう思うか」という設問に対して、「そもそも処分は不要」の回答が60%で圧倒的に多い。マスコミ報道の方では、2/14にNHKが世論調査を発表していて、「議員辞職すべきだ」が54%、「離党すべきだ」が21%とあり、ネットとマスコミで全く逆の結果となっている。こうした状況は昨年9月の代表選のときも顕著で、マスコミの世論報道では菅支持が多数だったが、ネットの世論では小沢支持が凌駕していた。ネットの世論調査はサンプルに偏りがあり、つまり、代表選の立会演説会に集まった新宿西口前の聴衆を対象にアンケート調査をするような具合になる。この政治に高い関心を持っている層の声が出る。全体の平均値とは看做せない。しかし、だからと言って、ネットの世論調査が意味のないものだとは言えない。
「恒久財源」論のイデオロギー - 埋蔵金こそ恒久財源ではないのか
朝日による小沢叩きの2/19の社説の中に、「確たる恒久財源の当てもなく、マニフェスト実現のスローガンばかりを繰り返す方がよほど無責任である」という主張がある。この「恒久財源」という言葉が、最近、やたらマスコミと政治の世界で使われるようになっている。「ペイアズユーゴー」の言葉も同じで、今では財政を議論する上での金科玉条の説得術語になっている。この「恒久財源」という言葉だが、昔はこれほど頻繁には使われていなかった。財政理論上の概念として学問的に定義が与えられているのか調べようとしたが、ネットでも専門的な情報は確認できず、手元にある神野直彦の本を何冊か捲っても、この語法は一度も出て来ない。「恒久財源」とは何だろうか。一般通念としては、税収の中で年々歳々の景気変動に左右されにくいもの、常に一定の徴収を確保できる税制、つまり間接税を指し、特に消費税を指すと考えられている。「恒久財源」という言葉について、できれば野党の議員は国会で質問して政府答弁で意味を確定させて欲しいし、経済学者や財政学者にはタームの批判をお願いしたい。外国や学界でもこの財政用語は一般的な概念なのか。直感として、私はこの言葉に胡散臭さを感じる。官僚が消費税増税を正当化し、その政策を国民の意識に受け入れさせる意図で操縦しているイデオロギー・デバイスではないのか。
朝日社説のヒステリックな小沢叩きとマニフェスト誹謗 - 菅四面楚歌
週末から週明けにかけて、マスコミ各社の「世論調査」が発表されている。それによると、菅内閣の支持率は、朝日が20%、毎日が19%、産経が16%となっていて、発足以来最低となり、歴代内閣が崩壊した直前の水準に達している。一方、テレビと新聞がこの政局にどういう論評を発しているかと言うと、「政局で揉めている時ではない」とか、「いま解散したら日本が混乱して滅茶苦茶になる」とか、「予算関連法案が通らないと国民が迷惑を蒙る」とか、「国債の格付けを下げられる」とか、そういう恫喝じみた警告口調で全社整列し、菅政権を擁護する姿勢を際立たせている。小沢系に対する罵詈讒謗は無論のこと、自公に対しても、「菅政権の足を引っ張らずに政策で協力しろ」と要請を言い続けている。マスコミの政治報道は、現在、データ系とコメント系で分裂した状態にある。メッセージの矛盾が検出できる。データ系の方は菅政権の崩壊と終焉が近い事実を伝え、コメント系の方で菅政権を支えて世論が倒閣に向かわないように誘導している。例えば、2/20のTBSの番組での大宅映子や岸井成格の発言が典型的で、解散は無意味だとか、政局騒動はやめろなどと喚いていた。データ系とコメント系を一致させている男が一人いて、時事通信の田崎史郎で、政局商売の季節の到来が嬉しくてたまらず、稼ぎどきの出番に顔を綻ばせながら、「菅降ろし」を煽り立てている。
新会派はプロモーション戦略せよ - マスコミ報道を突破するツール
衆院の民主党会派から離脱宣言した16名の議員について、ネットでは義士だ勇士だ志士だと称賛する声が多いが、私はそのような評価や見方はしない。立つのが遅すぎる。今まで何をしていたのだ。市民がずっと小沢支持のデモに奔走し、検察とマスコミの不当と横暴を訴え、街中を叫んで行進しているのに、それを手助けもせず、顔も出そうとせず、何を怠慢していたのだ。無名の市民がネットで声を張り上げても、誰も聞かないし見向きもしない。議員様の身分だから、人が振り向いてくれ、カメラが撮って放送してくれる。税金で歳費を受け取りながら、「国民の生活が第一」の公約を守るために、これまで何をやってきたのだ。渡辺浩一郎を含めて、私はこの16名を全然知らないし、名前も顔も見たことがない。もし本当に彼らが「国民の生活が第一」の公約に命を賭け、菅執行部のマニフェスト破りの悪行を阻止しようと精勤していたのなら、その言論や行動はマスコミかネットに浮上していたはずで、Twitter等で情報が拡散されていただろう。自分から積極的に発言して、ネットやマスコミで注目を浴びていただろう。マスコミが、彼らを小沢一郎の指図で動いている操り人形だと言い、「国民の生活が第一」の大義名分は口実で、小沢一郎の政局工作だと解説しても、その歪曲報道が一般を説得してしまうのは、彼らがこれまで何も運動せず、この予算政局で急に登場してきたからである。
「止め男」の連合が出て来ない - 党員資格停止の政局と政界再編
小沢一郎の党員資格停止問題について、ワイドショーは相変わらず無視し続けているが、今日(2/16)の朝日の紙面は大きな扱いで取り上げている(1面・2面)。その中で、この政局に対応しての小沢一郎の発言が拾われていて、興味深く読んだ。「予算関連法案は通らないだろうな。でも、菅は退陣しない」。これは、2/14に政治塾で講演した後、「一新会」の直系議員に語った言葉である。記者が議員から聞き取ったものだが、小沢系の場合は政治的思惑でのリークの要素がないので、ストレートに小沢一郎の胸中や意向が伝わる情報となる。小沢一郎は、予算関連法案は通らないと見通しを立てている。これは、社民党が税制改正法案と特例公債法案に反対すると予想しているという意味だ。小沢一郎は、小沢系の議員に対して、予算関連法案の成立に協力するよう指示を出していて、予算を党内政局の人質にする作戦を退けている。そのため、執行部は、予算では小沢系の妨害がないという想定と安心の下で、小沢一郎への処分に強気に出ている。つまり、3月末までは小沢一郎は貝の殻で、どんな仕打ちにも抵抗せず甘受と忍従の一手なのである。しかし、社民党との折衝では暗礁に乗り上げるに違いないと踏んでいる。すなわち、政局は4月以降に来るのだ。統一地方選で惨敗し、特例公債法案を野党に人質に取られて攻められたとき、菅退陣か総選挙かの政局になるのだ。














































